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鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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 太平洋戦争末期の沖縄戦で、奄美大島の古仁屋は海軍の航空基地として重要な役割を果たした。鹿児島県の指宿基地や福岡県の玄界基地からは偵察第三〇二飛行隊(以下、偵三〇二と略す。)が、台湾の淡水基地からは第六三四海軍航空隊(以下、六三四空と略す。)の偵察第三〇一飛行隊(以下、偵三〇一と略す。)が、それぞれ古仁屋を前進・中継基地として、水上偵察機「瑞雲」を主力に沖縄周辺の米艦隊へ夜間攻撃を繰り返した。後に偵三〇一も九州へ移動し、偵三〇二と共に沖縄攻撃を行った。これらの瑞雲の他にも、水上機による特攻隊や、沖縄挺身連絡の水上偵察機が古仁屋基地を使用した。

 だがこの他に、水上偵察機や飛行艇による古仁屋基地への輸送作戦が行われていたことは、ほとんど知られていない。この輸送作戦を行ったのは二つの部隊である。一つは偵三〇一と偵三〇二の所属機である。零式水上偵察機(以下、零式水偵と略す。)が主に使用されたが、一部飛行艇も使用されたらしい。もう一つは長崎県佐世保基地の第九五一海軍航空隊(以下、九五一空と略す。)所属機である。こちらも零式水偵が主力で、一部飛行艇が使用されたようだ。

 本稿では数少ない日本側の資料の他に、沖縄公文書館所蔵の「傍受敵国無線翻訳文及び第二次世界大戦関係雑書」に含まれている、米軍が傍受した日本軍の電文を加えて、航空機による古仁屋への作戦輸送の実態の一端を明らかにしたい。

 

   

 沖縄戦に伴う最初の作戦輸送は、九五一空古仁屋派遣隊の九州への転進だった。一九四五年(昭和二〇)三月二三日、米機動部隊は南西諸島一帯に対し、沖縄本島上陸の準備のための空襲を開始した、

これを受けて三月二五日、九五一空司令は、古仁屋所在兵力の九州への転進を命令した。その際、指宿派遣隊長に対し、「古仁屋兵力ノ転進ニ当リ適宜同隊練艇又ハ水艇ヲ使用スルコトヲ得」と指示した。(註1)古仁屋基地に配備されていた航空機は、空襲で既に破壊されていた可能性が高いので、航空機を破壊された搭乗員や基地員を移動させようとしたのだろう。だが実際には、沖縄戦中の古仁屋基地には、石川正大尉(海兵七二期・偵察搭乗員)を指揮官に、荒川一郎中尉(予備学生第一四期・飛行要務専修)をはじめとする九五一空の派遣隊員が残っていた。(註2)全員がこの時転進したわけではないようだ。

 三月から四月の始めにかけて、九州・台湾と古仁屋基地の間を水偵が頻繁に往来している。三月二七日午前二時には、水偵一機が古仁屋基地から指宿基地へ飛び立った。(0000036946 古仁屋空軍基地④ 三二頁。沖縄県公文書館の「傍受敵国無線翻訳文」については、最初にボックス番号を記し、次にボックス名、最後にページ番号を表記することとする。なお、古仁屋空軍基地は4つに分かれているので、本稿では分かりやすいように、①から④までの番号を付番した。)翌二八日には六三四空の零式水偵一機が、午後五時に台湾の淡水基地から古仁屋基地へ出発し(0000036946 古仁屋空軍基地④ 三一頁)、二九日午前七時には水偵二機が古仁屋に到着した。(0000036946 古仁屋空軍基地④ 二八頁)

 四月一日には午前二時三〇分に、場所不明の基地から零式水偵一機が古仁屋基地へ出発する予定だった。(0000036946 古仁屋空軍基地④ 二八頁)また三日午後六時一五分には、偵察第三〇七飛行隊(私註、偵三〇一の誤りか。)の偵察機三機が、指宿基地に出発予定だった。(0000036946 古仁屋空軍基地④ 一七頁)電文の宛先が古仁屋基地になっているので、最終的な目的地が古仁屋基地の可能性がある。

 ただし、これらの機は全てが、古仁屋基地へ作戦輸送を行う零式水偵とは限らない。瑞雲は水上爆撃機と通称されるが、正式には零式水偵と同じ水上偵察機であり、米軍資料の水偵や偵察機は瑞雲を指している可能性もある。

 同じ三日の午後一一時四五分には、偵三〇一の零式水偵二機が、おそらく淡水基地を出発して古仁屋作戦輸送を行い、別に零式水偵一機が指宿基地を発進して、古仁屋間の作戦輸送を実施した。(註3)米軍資料中の古仁屋に飛行した水偵のうち、零式水偵はほぼ間違いなく古仁屋輸送に従事した機であろう。その目的は瑞雲による沖縄攻撃に備えて、器材や人員を古仁屋基地に輸送することだったのだろう。輸送は偵三〇一と偵三〇二が、それぞれ自隊の零式水偵を使用して実施したと考えられる。

 作戦輸送は一応の目的を達成したようで、三日に「明後五日ヲ以テ一応古仁屋作戦輸送終了予定」(註4)とされた。五日午後三時三〇分に水偵四機が、おそらく古仁屋基地から淡水基地に到着し(0000036946 古仁屋空軍基地④ 一四頁)、古仁屋基地に向かったと思われる偵三〇二の水偵らしき三機が、悪天候のため、午後七時三〇分に九州のどこかの基地に引き返しているが(0000036946 古仁屋空軍基地④ 一三頁)、これらが最終輸送便だったのだろう。

 その後しばらく零式水偵による輸送の記録は途絶えてしまう。四月一五日、大島防備隊に沖縄根拠地隊参謀長の加藤唯雄少将と、同根拠地隊参謀の佐藤定郎少佐が着任した。(註5)加藤少将は沖縄根拠地隊参謀長に補任されたが、交通途絶で赴任出来なかった。(註6)おそらく佐藤参謀も事情は同じだろう。四月一八日に佐世保鎮守府は大島方面部隊を編成し、加藤少将がその指揮官となった。(註7)

 この二人が奄美大島に着任する際、佐世保基地を一四日午後六時三〇分発進予定の、九五一空の零式水偵二機を使用している。予定では午後九時頃に古仁屋到着だった。(0000036945 古仁屋空軍基地③ 一一七三頁)これが記録に残る上では、九五一空の零式水偵の最初の古仁屋への輸送任務となった。

 加藤少将の奄美到着直後から、零式水偵による輸送は再開されたようだ。一六日午後六時には零式水偵(機数不明)が、作戦輸送のため淡水基地から古仁屋基地へ出発した。(0000036945 古仁屋空軍基地③ 一一三頁)二一日午後七時(?)には零式水偵らしき一機が、淡水基地を出発して古仁屋基地に向かい、翌日の午前三時に淡水基地へ戻っている。(0000036945 古仁屋空軍基地③ 一一一頁)ただし二一日の行動は、零式水偵による沖縄への往復攻撃の可能性もある。

 ただ二〇日過ぎから、新たな古仁屋への作戦輸送が始まったことは間違いない。二三日には、淡水基地から大島防備隊と古仁屋基地に宛てて、今晩輸送作戦を実行するので、午前二時までの一時間ごとの天候を報告するようにと電文が来ている。(0000036945 古仁屋空軍基地③ 一五八頁)

 二六日午後三時二五分に、敵機二機と遭遇した六五三空の水偵(私註、六三四空の誤りか。)は、どこかに不時着したが、積荷や人員に損害はなかった。(0000036945 古仁屋空軍基地③ 一五〇頁)積荷という以上は、この水偵が輸送任務に従事していたことは間違いない。

 翌二七日には、佐世保鎮守府が九五一空に対し、佐鎮信電令第一一〇号で、今日二七日から零式水偵二機を使って、佐世保と古仁屋の間の作戦輸送を夜間に行うように命じた。(0000037046 古仁屋 六五頁)実行する日になって突然命令することは考えられないので、事前に作戦輸送を準備するように命令が出されていたはずである。

 二九日午後一時五七分には、零式水偵五一号機に淡水基地と古仁屋基地の間の作戦輸送が命じられた。だが悪天候のため、淡水基地に戻るように命じられた。(0000036945 古仁屋空軍基地③ 一三二、一三五頁)この機は淡水を基地としているので偵三〇一所属機である。

またこの日午後九時三五分には、佐世保から九五一空の零式水偵四機が古仁屋に緊急輸送のため出発した。四機のうち一機が悪天候のため引き返し、一機は博多(?)に不時着し、残る二機が午後一〇時四五分に到着したようだ。(0000036945 古仁屋空軍基地③ 一二七頁)

 翌三〇日の大島輸送(私註、古仁屋作戦輸送のこと。)は、悪天候のため中止された。(0000036945 古仁屋空軍基地③ 一二五頁)前日からの悪天候が影響したようだ。

 

(註1)防衛研究所戦史研究センター所蔵『軍機電報綴 S二〇・一・一~二〇・五・一』 機密第二五一五二〇番電 二分ノ二、三

(註2)『わが町の戦中戦後を語る(思い出の体験記録集)』(瀬戸内町中央公民館 一九八九) 一四二~一四三頁

(註3)防衛研究所戦史研究センター所蔵『参考電報綴 S二〇・三~二〇・五 3/4』 機密第〇三一四〇五番電

(註4)前掲註3 機密第〇三一四〇五番電

(註5)防衛研究所戦史研究センター所蔵『大島防備隊戦時日誌 S二〇・四』 一九二五頁

(註6)沖縄戦史刊行会編『日本軍の沖縄作戦』(月刊沖縄社 一九八五) 一二八頁

(註7)防衛庁防衛研修所戦史室『本土方面海軍作戦』(朝雲新聞社 一九七五) 四一八頁