「魔法狐フィオと空時計の街」
境界桜が咲き終わり、
森が初夏の匂いをまといはじめたころ。
その異変は、
とてもささやかに始まりました。
朝。
フィオが目を覚ますと、
窓の外の景色が止まっていたのです。
「……え?」
風に揺れていたはずの木の葉が、
ぴたりと空中で静止している。
飛んでいた鳥も、
羽ばたいた姿勢のまま止まっています。
空に浮かぶ雲さえ、
まるで絵みたいに動かない。
しん。
音がない。
世界から、
時間だけが抜け落ちたみたい。
「うわぁぁ!?」
飛び起きた拍子に、
ベッドから転げ落ちました。
どたん。
その音だけが、
妙に大きく響きます。
すると次の瞬間。
かちり。
どこかで、
時計の針が動く音がしました。
途端に。
ざあっ、と風が吹き抜けます。
木の葉が揺れ、
鳥が羽ばたき、
雲が流れはじめる。
時間が戻った。
「な、なに今!?」
丘へ駆けつけると、
仲間たちも同じ異変を感じていました。
ルナは羽をばさつかせながら言います。
「三秒くらい止まった」
ノクスは腕を組んで空をにらみます。
「いや、体感だと五秒」
「どっちでもいいよ!」
フィオがつっこむ横で、
リオはきらきらした目をしていました。
「すごい!」
「時間が止まるとか超かっこいい!」
「よくないからね!?」
このへんの反応の違いが、
ふたりらしいところです。
そのとき。
ゼノの家から、
師匠がものすごい勢いで飛び出してきました。
珍しく、
髭がちょっと乱れています。
「空を見ろ!」
みんなが見上げます。
そこには。
青空のずっと高く。
巨大な歯車が浮かんでいました。
金色に輝く、
都市ほどもある歯車。
その中心に。
街。
時計塔や歯車の橋、
真鍮色の屋根をもつ建物が連なった、
壮大な空中都市。
雲海の上に、
静かに浮かんでいます。
フィオはぽかんと口を開けました。
「……なにあれ」
ゼノが重く言います。
「クロノスフィア」
その名に、
シオンがはっと顔を上げました。
「まさか」
「知ってるの?」
シオンはゆっくりうなずきます。
「境界守りの古文書にあった」
“時間を保管する街”
世界からこぼれた時間を集め、
管理する機械都市。
でも。
「ずっと伝説だと思ってた」
セレナが空を見上げ、
不安そうにつぶやきます。
「どうして今になって…」
ゼノは険しい顔で答えました。
「世界がつなぎなおされた影響じゃろう」
境界が変化し、
本来交わらないはずの場所が
こちら側へ引き寄せられた。
もしあの街の均衡が崩れれば。
「時間そのものが壊れる」
「行こう!」
言ったのは、
もちろんリオでした。
フィオがすかさず止めます。
「待って!」
「なんで!?」
「絶対危ない!」
「でも楽しそう!」
「そこなの!?」
言い合うふたりを見て、
ルナがため息。
「ほんとそっくり」
「いや結構違うよ!」
「かなり違うよ!」
ぴったり声が重なって、
みんなが少し笑いました。
その空気を切るように。
再び。
かちり。
時計の音。
そして。
世界が止まりました。
今度は、
さっきより長い。
フィオたちの身体も、
ぴくりとも動かない。
視線だけがかろうじて動きます。
その静止した世界の中で。
ひとりだけ。
誰かが歩いていました。
空から、
ゆっくり降りてくる影。
小柄な、
狐の少女。
毛並みは淡い銅色。
背には、
歯車でできた翼。
そして片目には、
時計盤のような意匠の眼帯。
彼女はフィオたちの前に降り立つと、
静かに頭を下げました。
「時守りの名において、お願いがあります」
澄んだ声。
でもその表情は、
切羽詰まっていました。
「どうか、クロノスフィアを救ってください」
そして。
彼女の背後で。
空の街の中心にある巨大時計塔が、
真っ黒に染まりはじめます。
ごうん。
低く、
不吉な鐘の音。
少女が震える声で告げました。
「“止時王(していおう)”が目覚めました」
フィオの耳がぴんと立ちます。
またしても、
いかにもやばそうな名前。
でも。
少女の瞳に宿る必死さを見て。
フィオは、
しっかりとうなずきました。
「わかった」
リオがにっと笑います。
「空の街とか最高じゃん!」
ノクスがぼそっと。
「その軽さすごいな」
シオンは静かに空を見上げました。
黒く染まる時計塔。
その奥からは、
かすかに。
誰かの笑い声が聞こえた気がしました。
こうして始まる。
空に浮かぶ、
時間の止まった街での冒険。
そこでフィオたちを待つのは――
失われた昨日。
まだ来ない明日。
そして。
“永遠”を望んだ王の、
悲しい願いでした。
つづく。
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