人を平気で傷つける言葉を使う人がいる。

今の自分には彼らのような行為は到底真似はできない。

自分は小さい頃から悪い行為には報いがあると考えていた。

それは確信ではなく漠然とした信念のようなものでした。

幼少のころから青年期のある時期まで、こうした信念のもとに生きていました。

ですが、学生時代の些細な悩みがきっかけで、人生の道を大きく踏み外した時期がありました。

両親に迷惑をかけ、周囲の人たちにも迷惑をかけ、最後には自分は大きな精神の病になって生死の淵まで堕ちたことがあります。




あれから25年の年月が経ち、現在はなんとか社会復帰して結婚相手にも恵まれました。

今思うと、若さゆえに何もわからない子供だったとはいえ、

あれだけ人に迷惑をかけた報いが、自分に災いとなって還ってきたのだと思っています。




今の世の中を見ていると誹謗中傷や暴力、いじめなど頻繁にメディアで取り上げられています。

人を傷つけて平気でいられる人間というのは、

相手にも自分と同じ心があるということを、考えられない人なのでしょう。

言葉はナイフにもなるし薬にもなる。ナイフで触れられたら身体は必然的に傷つくでしょう。

実は心も全く同じものです。





何か人に言われて傷つくことがあるでしょう。

でもそれはあなたのせいじゃない。世の中には傷ついた本人の弱さを責める人もいますがそれは間違いだと思います。

ナイフで切り付けられたら普通血を流します。うまくかわせば血は流れないでしょう。

物理的な世界も心の世界も同じようなものです。





どうして目に見えない世界のことになると、人は平気で人を傷つけるのか。

昔1999年のノストラダムスの予言に、1999年以降にはほとんどの人間同士がナイフで殺しあっている、というような予言があったのを思い出し、

これは言葉のナイフで殺しあっているという意味なのだと今は確信しています。





物理的な戦争となると本当に悲惨なので、はやく戦争が終わるように願っていますが、なかなか終わらないですね。。

このままだと人類がいつ滅びてもおかしくない危機感を感じます。

我々に今できることは、戦争当事者を非難することではなく、

自分の身の回りにいる人を大切にすること。誹謗中傷をしないこと。

戦争と同じように言葉は人を銃やナイフのように殺傷することができることを念頭に置いて、

自分を愛するように人をまた愛してみよう。

裏切られてもいいから、もう一度人を信じて優しくなってみよう。

世界に変化を起こしたいなら、自分の身近なところから変化を起こすことができれば、

それは世界に波及する可能性だって皆無じゃない。





今の地球は牢獄のようになっていて、そのほとんどが囚人のような生活をしていると思います。

みんなが看守や指導者であることに目覚めて、優しくなってほしい。





自分も人に優しくなれるように、世界に小さな変化を起こせるように努力したいと思います。

地球にはきっと明るい未来が待っていると思う。

なぜなら私たちは皆、幸せになるために生きているのだから。

だからこそ、自分だけでなく周りの人も幸せにできるような人になってほしいです。