近頃、近しい人から「最近太ったよね」と言われることがある。自分の事を棚に上げて無礼千万な話だと思う。感じたことを何でも口に出していいのならこちらだって人を捕まえて「幸薄そうな顔になったね」とか「段々手がしなびてきたね」とか言いたい。
子供の頃から小柄で痩せ型体系だった私は「骨のようだ」とよく言われ、どんなベルトでも一番奥の穴で締められるという「見世物小屋」的な特技があった。くびれまくりだ。しかし最近は年齢が中年へと向かっているので1年1Kgの推移で体重が増加し、現在59Kgとなっている。
成人後の最痩の時期が46Kgだったので、その頃から比べれば10Kg超なのだから「太った」という表現は正確だろう。しかし、慎重166Cmで59Kgは肥満ではないと、私自身は考えている、というような事を表では言うのであるが、内心最近少しだけ心配している。
確かに以前に比べれば金も自由になり美食に走りがちな生活もある。酒も元々ビールを飲まず、カロリーの低いバーボンを主に飲むので、酒太りについても気にかけてこなかったが、近年日本酒を嗜むようになり、それに加えて旨い肴を食えば益々カロリーが倍増になる、というのも頷ける。
しかし、これらは私の今の人生を彩る重要な要素であり、ないがしろにすることはできない。つらつら考えるに"無駄な食事"が多いのではないかということを考えた。
普段、毎日は御馳走は食べられない。日常は会社に勤務するので、昼食はオフィスのそばの定食屋などで済ませる事もある。外へ行く気力の起きない休日は、家で食べる食事は冷蔵庫の在庫のパッケージに即した食事を食してしまう。結果として食べ過ぎる。大して美味しくもないのに。
こういう無駄な、体の糧にもならない"駄食"を減らすことによって、大分体重管理ができるのではないかという論理である。
美味しくないもはあまり口にしない。といっても毎日御馳走を食べることもできない。結果として普段は最低限の"それなりの食事"を取る結果、自然に食事の量が減る。腹も減らないのに毎日定期的な時間に自分で勝手に決めた定量とする食事量を摂取する、という悪習を取り除けばそのうちに私の体はしぼんでいくに違いない。
御馳走は週に一回でも食べられれば気が済むので、その場では多いに食べて飲む。そして思い出したかのように時々心ばかりのWiiFitをしてみる。これが僕にできる精一杯だ。
こういう生活を実践してみようと思っているが、食欲の秋を控え、甚だ時期が悪い。
子供の頃から小柄で痩せ型体系だった私は「骨のようだ」とよく言われ、どんなベルトでも一番奥の穴で締められるという「見世物小屋」的な特技があった。くびれまくりだ。しかし最近は年齢が中年へと向かっているので1年1Kgの推移で体重が増加し、現在59Kgとなっている。
成人後の最痩の時期が46Kgだったので、その頃から比べれば10Kg超なのだから「太った」という表現は正確だろう。しかし、慎重166Cmで59Kgは肥満ではないと、私自身は考えている、というような事を表では言うのであるが、内心最近少しだけ心配している。
確かに以前に比べれば金も自由になり美食に走りがちな生活もある。酒も元々ビールを飲まず、カロリーの低いバーボンを主に飲むので、酒太りについても気にかけてこなかったが、近年日本酒を嗜むようになり、それに加えて旨い肴を食えば益々カロリーが倍増になる、というのも頷ける。
しかし、これらは私の今の人生を彩る重要な要素であり、ないがしろにすることはできない。つらつら考えるに"無駄な食事"が多いのではないかということを考えた。
普段、毎日は御馳走は食べられない。日常は会社に勤務するので、昼食はオフィスのそばの定食屋などで済ませる事もある。外へ行く気力の起きない休日は、家で食べる食事は冷蔵庫の在庫のパッケージに即した食事を食してしまう。結果として食べ過ぎる。大して美味しくもないのに。
こういう無駄な、体の糧にもならない"駄食"を減らすことによって、大分体重管理ができるのではないかという論理である。
美味しくないもはあまり口にしない。といっても毎日御馳走を食べることもできない。結果として普段は最低限の"それなりの食事"を取る結果、自然に食事の量が減る。腹も減らないのに毎日定期的な時間に自分で勝手に決めた定量とする食事量を摂取する、という悪習を取り除けばそのうちに私の体はしぼんでいくに違いない。
御馳走は週に一回でも食べられれば気が済むので、その場では多いに食べて飲む。そして思い出したかのように時々心ばかりのWiiFitをしてみる。これが僕にできる精一杯だ。
こういう生活を実践してみようと思っているが、食欲の秋を控え、甚だ時期が悪い。