30年以上前に
みんなのうたで「いろはまつり」と云ふ曲が流されてゐて
私の好きな森みゆきさんが唄つて
曲自體も良いのですが
少し不滿な點があります
先づアニメーションですが
いろはにほへと は其の儘表記してゐるのに
「うゐのおくやまけふ」は「ういのおくやまきょう」
「ゑひ」は「えひ」と表記してゐます
是では48文字の意味がありません
そして發音ですが
前半の猪くんと奧山今日越えては
kyouで良いと思ひますが
最後の48文字を唄ひあげる時は
kefu と發音すべきです
若しkyouと發音するなら
他もirowanioedo waga eimosezuと發音しなければ
をかしいとは思ひませんか
折角こんなに良い曲なのに
統一感が缺けて臺無しです
辭は達するのみ
古池(名詞)
や(間投助詞)
蛙(名詞)
飛込む(動詞)
水(名詞)
の(格助詞)
音(名詞)
さう云ふ事
兼題が食物や食べられる動植物だと
調理法と季語で五七五にする方がいらつしやる
私は此れをクックパッド句と稱び
ウィキペディア句と與に
こんなの詠んで何が樂しいんだらうと
不思議でならない
誕生花の句
季語でないときは良いが
當季と離れてゐると戸惑ふ
試しに正假名遣ひと月使つて御覽なさい
滅茶苦茶文法に強くなります
中卒の私に質問數多
忌日は偲ぶ心で詠みたい
兼題になると茶化す方がゐて哀しい
思ひ入れのない人の忌日は詠まない
一番近い兄でさへ九つ違ひで
酒や樂器を覺るまでは一人つ子と變はら無かつた
姉も兄も競技かるたが得意だつたが
私が小學校に入る頃には
姉は音大に兄はバンド活動へと移行して
家には歌留多とピアノが殘されてゐた
私の原點
百首憶えるのは當然
歌番號も詠み人の來歴もしらべました
札を裏返して取る隱し藝も身についた
俳句に役立つてゐるかは分からない
俳句に尾籠な言葉を入れるなとは思ひませんが
下品な措辭許り使ふ方はミュートしてゐます
氣氛も惡くなりますし
縁語も限られますから向上が見込めません
パターンに固執する方もさうですが
尾籠でなければ
讀む氣は失せません
いいねは附けがたいですが
始めた頃は類想にならぬ樣に
季語で思ひ浮かび易さうな言葉や
猫 子 老 風などを避けてゐましたが
最近は剰り氣にしなくなりました
寧ろ月竝みを心掛けてゐるほどです
その稽古の爲
毎朝誕生花で二句即詠してゐます
なるべく戀や寂しさを詠み月竝街道を闊歩してゐるつもりですが
どうでせう
説明文にも書いてある友人は
私を俳句の通に誘つて呉れた恩人です
だから此處には俳句に關して思ふ處を記して行かうと思ひます
先づ私が俳句と稱ぶのは有季定形のみです
自由律や字足らずは短詩と看做してゐます
中八は語呂が良ければ構はないし
季重なりや三段切れも氣にせず鑑賞しますが
私は避ける樣にしてゐます
定形を崩す際は口語か横文字
中八や季重なりは他の措辭がないか
考へ拔いた果てに遣ひます
充分惱んだ末の自由律や
天才的な短詩には感動を覺えますが
語彙が乏しき故のそれは不愉快です
以上が私の俳句の形への概念です
