良いも悪いも。今聞き返すと、掴みどころがない。今日始めて聞く指揮者、録音だとしたら、将来の可能性は感じさせてくれるが。
ショルティのデッカ初録音は1947年、曲はブラームスのヴァイオリン・ソナタで、ピアニストとしてゲオルグ・クーレンカンプの伴奏を務めたものだった。指揮者としての初録音は、1949年8月にロンドン・フィルと録音したハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」とヴェルディ「運命の力」序曲。
1957年10月、ゾフィエンザールでクナッパーツブッシュとウィーン・フィルのワルキューレのセッションを進めていたDECCAは、並行してイスラエル・フィルとの録音を開始。その最初がショルティ指揮のセッションだった。クーベリックもウィーンでの録音の前に、イスラエル・フィルとのセッションが行われている。DECCAはカラヤンをEMIから引き抜いてウィーン・フィルとの録音を始めるのは1959年。このイスラエル・フィルとのセッションでのレコードには、数年後にカラヤンで録音する数曲と絡む楽曲が目にとまる。
さて、本拠地であるフレデリック・マン公会堂は当時まだなく、スタッフが録音場所に選んだのは、テル・アヴィヴから車で45分もかかる村にある映画館だったという。
1958年のショルティのセッションは4月にチャイコフスキーの弦楽セレナードとモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」という弦楽だけの、金管の出てこない曲が選ばれている。そして5月にはメンデルスゾーンの「イタリア」とシューベルトの第5番が録音された。本盤である。仕上がりはシューベルトの方はお薦めできる演奏、録音で、評価に4つ星をつけてもいい。シューベルトは、チャイコフスキーとモーツァルトの軸線上にある音楽で、先のセッションの成果が現れた演奏になっている。
「イタリア」は、ショルティとしては後にシカゴ響やウィーン・フィルと録音している曲で、それらで聴かれる攻める演奏スタイルがすでに全開となっている。猛烈なテンポでギシギシと弾かせる第4楽章がその典型で、なるほど弦は優秀だが管楽器がついていけなくなりかけているほど。しかし、やむなくそういう結果が効果となったと聴くこともできる。
イスラエル・フィルはバランスの悪いオーケストラで、弦や木管と違って金管奏者は海外での仕事が容易に見つかるためよい人材が国内に残らなかったことが、その理由で弦楽は素晴らしく木管も満足できたが金管は水準以下だった、という。クーベリックの指揮で録音したドヴォルザークの交響曲第8番は金管の不出来を理由に発売しなかった。
このイスラエル・フィルとのセッションを経て、翌年、1959年9月からウィーン・フィルとの「ラインの黄金」のセッションへ至る。
ショルティは自伝の中で、ウィーン・フィルとの良好とはいえなかった関係を率直に認めている。楽団は、フレーズ冒頭の和音を正確に揃えないほうが温かいと考え、ショルティにとっては、それがみっともないことだと考える、解釈上の相違だったという。
ショルティとウィーン・フィルの初録音は、リヒャルト・シュトラウスの「アラベラ」となっているが、ワーグナーの「ワルキューレ」第3幕のテスト録りをしたものがあったのは、ブログを始めた頃から何度も書いている。
果たしてショルティとウィーン・フィルの主張の行方。それはリングのセッションの間に、ショルティからの交換条件として録音された、ベートーヴェンの交響曲5番、7番、3番を録音された順を追って聴き進めると、ショルティとウィーン・フィルとの関係にとって、イスラエル・フィルとのセッションが如何に意味あることだったのかが感じられる。
プロダクト
Italian Symphony / Symphony No. 5
by Felix Mendelssohn-Bartholdy; Franz Schubert;
Israel Philharmonic Orchestra; Georg Solti
London Records (STS 15008 / STS.15008)
1965