こんにちは!今日も amadeusのブログ をご覧頂きまして、ありがとうございます✨
Mozart好きが高じ、ドイツ留学中にMozartの生誕地ザルツブルクに押しかけたその足でモーツァルテウム大学大学院に入学、現地で音楽教育家として活動していた amadeus が西洋音楽の素晴らしさをお伝えするブログです。
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本日は 1756年オーストリア・ザルツブルク生まれの古典派を代表する作曲家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの ピアノソナタ 第11番 イ長調 KV 331について書いてみたいと思います。
私事で恐れ入りますが、2015年に手を怪我して以来、ピアノを弾く際の痛みと闘う辛さから、これまで何度も音楽をやめようと思ったことがありました。その度にこの曲に救われ、励まして頂きながら現在に至っております。
手のリハビリの一環として、調子が良いときを見つけてはこの曲を弾いているのですが、弾く度に音楽をやめなくてよかった😭✨と思い毎回感動するのです。
それほど不思議な魅力が散りばめられているこの曲ですが、その一つに 調性 が大きく関係しているのではないか、と私は思っております。
長調だから “明るい曲“と単純に言い表わすことのできないこの曲は、イ長調という性格を持っております。
モーツァルトが最も悲しい時、ト短調で作曲した例は史実として残されておりますが、イ長調もまたモーツァルトにとって “特別な意味を持つ調性である“ と私は思っております。
モーツァルト研究で有名なアルフレート・アインシュタインも、モーツァルトのイ長調について以下のように言及しています。
„イ短調、そしてときに特別な光に照らされたイ長調は、モーツァルトにとって寂寥(せきりょう)の調性である。“ [1]
モーツァルト愛が溢れすぎて、ついつい冒頭からマニアックな方向に話が傾きつつありますが、ご興味あるどなたかの参考になれば・・・、という思い一つでこのブログを書いております😅もしかしたら、書きたいことを好きなように書いているだけかもしれませんが、それも含めてご容赦頂けますと幸いです😅
ここまでこのブログを閉じずに読んでくださった方は、相当な Mozart好き(モーツァルティアン) でいらっしゃることと思います
その気持ちにお応えすべく、もう少し書き進めてまいります
この曲は、少し前まで有識者の間で „パリで作曲されたのでは?“ という説が有力とされていましたが、新たな見解として、“ウィーンもしくはザルツブルクで作曲されたのではないか“ と推察されるようになりました。
そしてここからはあくまで私個人の意見となりますが、“パリ、ウィーンでの経験を経た後のザルツブルクで作曲されたのではないか?“ と思わせるほど、ザルツブルクの景色を曲の至る所に感じます。
「どうして?」と深く追求されると何とも答えづらいのですが、私が数年間ザルツブルクに住み生活する中で季節が変わりゆく様を何度か見た結果、そのように思えてならないのです。
(2019年5月 ザルツブルクにて撮影)
写真は、当時住んでいた家の窓から見た夕暮れ時のザルツブルクの空です。私はこの曲の冒頭を弾くと金色の光が穏やかに輝く夕暮れのザルツブルクをいつも連想します。
時空を超えて同じ空を見ていた Mozart はどんな想いで作曲したのでしょうか。
その答えは Mozart のみぞ知るところでありますが、曲を弾くことで作曲家と繋がり想いを馳せられることに、心からの豊かさを感じます。
前置きが長くなってしまいましたが、ここからは前回に引き続き ”楽譜を表面から見ただけではたどり着くことのできない、その向こう側にある世界” を具現化できる演奏家の録音を紹介してまいります。
”楽譜を表面から見ただけではたどり着くことのできない、その向こう側にある世界” とは何ぞや?という方はこちら↓
今回も私が最も敬愛するピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウス氏による1969年6月26,28日にオーストリアのオシアッハで行われた最後の演奏会のライヴ録音です。
26日は無事に弾き終えられましたが28日、途中で体調不良を起こし、暫く休憩ののちプログラムを一部変更、その後再び舞台に戻られました。休憩時にドクターストップがかかりましたが、氏の意向で演奏会は続けられました。こちらのCDは26日収録分です。
それではどうぞ
収録曲:
Mozart Piano Sonata in A Major KV 331
(モーツアルト ピアノソナタ 第11番 イ長調 KV 331)
(0:49-15:44)
Schubert Impromptus Op.142-2
(シューベルト 即興曲 Op.142-2)
(16:15-20:08)
体調の影響か、必ずしも楽譜どおりではなく危うい箇所もありますが、このトラックの冒頭で演奏されるMozartピアノソナタKV 331が、私は人類史上最高の演奏であると思っております。
パリで母を亡くした数年後に作曲されているこの曲は、明るい長調の裏にMozartの „死生観“ や „悲しみ“ が垣間見られます。母との別れ、恋人アロイジアとの大失恋を経験したパリ、オペラ「後宮からの誘拐」KV384で大成功を収めるもそれに相応しい十分な収入を得られなかったウィーンでの Mozart の人生体験をベースに、生まれ育ったザルツブルクの地を懐かしむような旋律を随所に感じることができます。表向きは明るい長調のため、ともすれば単調な演奏になりかねないところを作曲者の心情風景を繊細に感じ取り具現化するバックハウスの神技は、流石としか言いようがありません。これほど Mozart の心情に寄り添い、音として表現することができた演奏家は、私の知り得る限り出会ったことがありません。→ ※逆に“他の演奏家でこんな名盤あるよ!“ という方、コメント欄で教えて頂けると嬉しいです(2024年12月10日追記)。
以上、録音を聴いて自分なりに感じたことを書いてみました。
昨今の日本において、ミスなく弾くことが重要視されがちな傾向にあります。楽譜を正しく読み、ミスなく弾くことはもちろん大切なことですが、その点ばかりに気を取られていると、それらを超えたところにあるもっと大切なことを見失いかねません。
„楽譜の向こう側にある世界“ とは 作曲家の想い、心情、作曲家が見た景色など、さまざまなことが想像できると思います。
バックハウス氏の演奏は、私たちにそうしたことを想い起こさせ、今一度立ち返る機会を与えてくださる贈り物のように思います。
どなたかの参考になりましたら幸いです。
(2015年9月 ザルツブルクのミラベル庭園にて)
amadeus
※動画はYoutubeサイトからお借りしております。動画の持ち主様と私は何の接点もございません。持ち主様の意向により予告なく終了することがありますことを、ご了承くださいませ。
※参考文献につきまして、アルフレート・アインシュタイン「モーツァルト- その人間と作品」日本語訳が出版されていることは認識しておりますが、自分の言葉で解釈したく、原文から引用しております。
[1] Einstein, Alfred: Mozart sein Charakter- sein Werk, 2. Auflage Frankfurt am Main: Fischer Verlag (2006), p. 261