今回は、前回にひきつづきパワースポット関連の話になりますが、パワースポットの紹介ではありません。

 

今回はパワースポットがどうやってできるか、についてお話ししたいと思います。

 

 

 

  パワースポットのパワーには2種類ある!

 

【パワースポット紹介】のテーマの記事をとおして読んでくださっている方は、パワースポットのパワー(エネルギー)が2種類あることはもうご存じですね。

 

 

ひとつは、肉体の生命エネルギーとなるパワーであり、そんなパワーの満ちたスポットで代表的なのが石切釼谷神社でしたね。

 

もうひとつは、魂(幽体)を浄化してくれるパワーであり、そんなパワーの満ちたスポットで代表的なのが阿部文珠院でした。

 

(それぞれの記事をまだお読みでない方はリンクを貼っておきましたので、ぜひご参照ください)

 

 

この2つのうちどちらが優れているということはないのですが、基本的には前者の生命エネルギーのほうが体感しやすいと言えるでしょう。

 

後者の魂の浄化エネルギーのほうは、幽体が欲望や怒り、悲しみ、高慢、妬みそねみなどのドロドロとした低レベルの想念で満たされている人は、まず感じられません。

 

 

ですからパワースポットめぐりをされるのであれば、最初は生命エネルギーのスポットからまわられることをお勧めします。

 

人智を超えたパワーというものが本当にあるんだということを知れば、欲望や自己利益をもとめる気持ち一辺倒だった心にも、謙虚さや優しさ、思いやりといった天につうじる気持ちもわいてくることでしょう。

 

そうなれば、幽体もある程度は浄化されているので、魂の浄化エネルギーも感じやすくなっているはずです。

 

 

  パワースポットはどうやってできるのか?

 

基本的にパワースポットというのは、だれかがつくった人工的なものではなく、自然界に存在しているものです。

 

その地の良質で強いエネルギーを感じとった人がそこに神社仏閣を建てたり、『神の住まう山』とか『神のやどる岩』みたいに祀ったりしたものが、一般的なパワースポットです。

 

 

ただ、人工的なものがないかというと、そうでもありません。

 

阿部文珠院は場所ではなく、本堂に祀られている5体の仏像からパワーが発せられています。

 

なので仏像を移動させたら、その地のパワーもなくなってしまうことでしょう。

 

つまり、これは人間が作ったパワースポットなんですね。

 

 

『そんなこと本当にができるの?』

 

と疑問に思われる方もおられるかもしれませんね。

 

でもこれはそんなに珍しいことでもないんですね。

 

 

たとえば、神社で売られているお札やお守りなんかも、いわば人工的なミニパワースポットなんですよね。

 

神仏とつながることのできる人が、その神仏からいただいたエネルギーを物質に封じこめることで、その物質がパワーをもつのです。

 

 

ただし、基本的にその封じこめたエネルギーの強さと量と質に応じて、そのパワースポットとしての寿命は変わってきます。

 

お札やお守りのように大量に並べて、数十分程度で封じこめたエネルギーは、せいぜい数日から長くて1年程度しかもたないのがふつうです。

 

ですから1年たつと返納して、新しいものを買うというのが一般的なんですね。

 

 

それに対して、仏像のように何か月も何年もかけて魂を封じこめたものは、数百年たってもエネルギーを発しつづけることができるのです。

 

とくに、快慶のような最高レベルの仏師の彫った阿部文珠院の仏像なんかは、何千年たってもそのエネルギーは尽きることがないでしょう。

 

 

このようにパワースポットというのは、天然ものと人工ものとがあるのです。

 

ちなみに、人間自体がパワースポットとなることもでき、その代表がイエスやブッダというわけです。