今年の元旦から


中日新聞の朝刊に戦後70年とゆうことで


平和の俳句を一句づつ


応募作品の中から選んで掲載されています。


一年とゆうことですから、ノートに貼り付けました。





元旦には18歳の西尾市の浅井君で


『平和とは 一杯の飯 初日の出』


選者は以前、私が苗字を間違えてブログに載せた


金子兜太氏と いとうせいこう氏の


お二人です。


1月9日の82歳の千葉県の男性の


『秋時雨 齢(よわい)の中に 戦いの日』


これは俳句を知らない私でも


うまい句だな~と思っていましたら後日、


「俳人の既発表句に似ているため、入選を


取り消します。」と載っていました。


オジイサンお気をつけてね、、、、。


1月28日の名古屋の89歳の来川忠士さんの


『俺だって 平和が好きさ デモに行く』


この方は七歳年上のお兄さんが


サイパンで戦死。  一月下旬に


中部電力の本店前で原発の再稼働反対デモに


参加されたと三面記事に写真付きで載りました。


すごく元気なオジイサン!


こうやって一カ月も俳句を毎日読んでいると


なにやら知らない私でも、不思議と


一句ひねりたくなるものです。


『シベリアで 非礼詫びるや 皺の手で』と


シベリアに慰霊に行った時の自身の


こと、、、仕事をリタイアするまで


シベリア抑留して極寒の寒さ、ひもじさ、ペンしか


持ったことのない父の重労働、望郷の念


絶望、など


少しも顧みずに父の亡くなった年の倍まで


きてしまったお詫びの気持ちを


先月下旬に作ってみましたが


季語は無し、 俳句をなーんにも知らない者が


真似て詠んでも没になるに決まってるし


平和を願うとゆうことが入っていないし、


投稿するまでもないわと今月の


9日の朝刊休刊日に自分の句を


ノートに貼っていましたら





な、なんと!次の日の句は横浜市の75歳の女性で


『しわしわの 手からもみじの手へ 九条』


お見事な「皺の手」の句でしたーー。


脱帽!


ま、かといって俳句を習おうとはおもいませんけど、、、。


それぞれが色々な趣味をもってやって


生きればいいのですね。


父や戦死した方々の死を無駄にしないで


平和な社会を築くのが


残された我々の義務ですから、、、、。


そして今、少なからず その平和を享受させて


もらっていることに感謝、感謝です。