『PTAはボランティア』


ここがずっと引っ掛かっていて


ボランティアなのに半強制感


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PTA活動とかボランティア活動してる親は

『ちゃんとした人』だよねー

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って言ってた保護者がいて



そこにもモヤモヤ



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卒対が大変だから、今のうちにやるんだー


くじ引きで当たったから仕方なくー


介護があるのでできません


子どもの習い事の送迎があるので出れません


下の子小さいのでできません


妊娠中だからできません


1人の人に皺寄せがいくから、

みんなでフォローしてください


長が決まらなければ時間だけが

過ぎるのでくじ引きで良ければくじ引きでいいですか?


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もはやPTA自体が保護者の分断を

促しているんじゃないか?


本来のボランティアになっていないから



純粋に『やりたいから』



そんな思いじゃないと


いくら子どものためと言ってやる事も


ただの負の連鎖




やりたくない事をやってる親を見て


子どもはどう思うかね?


いじめをなくすには、親がいじめをなくす事


って言うけどさ


同じだよね




もう、昔のイメージがつき過ぎているPTAは


解体するしかないのかな




善意の搾取






​くらげのきもち


『PTAは任意です』


だから入会届けが必要?

入会の意思確認があれば活動はしますか?


PTAはボランティアって言われるけど

私はボランティアとはまた違うと感じて


PTAや自治体(町内会)は


ある意味、そこに住む人の義務でもあるかと

思い始めています…


義務教育


公共のものは公共でやるのがスジ


と言うけど

その公共の物で賄って欲しい希望をあげるのが


PTAや自治体


だから

みんな当事者なのに


PTAは任意です


なんて言ったら


PTAが何をやってるかわからないまま

面倒は避ける


🟰余計に意義が分からない


と思うんだよね



転勤族や外国籍の方も

その地で働くのであれば


PTAと自治体は義務です!

その役割の期間の給与は保証します!


とかならないかなと



みんなお客様体質(自分も含め)

だから

何かあった時にすぐにクレームになるからさ

辛いよね



提供者と受給者

ではないんだよね

両方をみんな兼ねている



私たち大人は

子ども達に何を残す?


責任ってなんだろう?

PTAにどっぷり思いを馳せると


責任の押し付け合い


がイメージを余計に悪くしていると思う




生きることへの『責任』を

問われることが多いこと


結婚すればパートナーへの責任

子どもを産めば子どもへの責任

ペットを飼えばペットへの責任

入社すれば役職の責任

男の責任、女の責任



まるで責められるように感じる『責任』は

本能だけで生きるには辛すぎて

最初から避けたくなるのかもしれない


みんな幸せになりたくて

生き残るために

政治や会社、学校ができたのかもしれないけど


産まれたばかりの子どものときには

課せられる『責任』はないように思う



…生まれた時点で

生きる責任か?



子どものために行うPTA

って言葉自体も綺麗事にしか聞こえず


他人の子供の責任まで

抱えなければならないのか?

とすら思う




…責任ばっかり考えてたら

疲れちゃうよ



だからお互い様で助け合おう


自助・共助・公助

なんだよね、きっと



子どもファースト


じゃなくて


個人ファースト


みんな違ってみんな良い

ってするなら、

どこかで折り合いをつけなきゃならない


母親も父親も

老後まで楽しく暮らすには

どこに住んでも地域の関わりは必要不可欠

ゴミや公共施設は

自治体(地域)が関わっているからね


政治の責任、教育の責任、家庭の責任

責任なのかな?



PTAは子どもの為であり

自分の為であり


そして自分に関わる

身近なコミュニティの為であると

私は思う



みんなさ、良い関係性ってすぐできるものだと

思っているのかな?

色んな捉え方する人がいるから

少しずつ歩み寄って

対話を重ねるしか無い


ゆるーくね。

それがPTAだったり自治会だったり

本来の役目だと思うんだけどな