2020.1.25
この日は忘れもしない、母が救急車で運ばれた日です。
2019年の末頃から片足のむくみがひどく、緩やかだけど確実に悪くなっていると感じていました。
運ばれた日は、私は長男の幼稚園入園に伴う保護者説明会でした。
それを終えたのが昼頃。
飲食店に行き注文をして出てくるのを待っていたときでした。
父からの電話。
普段要件がない限り、しかもこの頃は不仲だったため父からの電話なんかよほどのことがなければないはず。
もう不吉だ、何か嫌なことだと思いつつ出たら
電話口から聞こえたのは救急車のサイレンの音でした。
あぁ、、、やっぱり、、、
もう絶望でした。
救急車を要請したのは吐血したからでした。
いや、正確には鼻血が体力に出て口から流れて母には吐血のように感じたというのが検査結果のようです。
父が外出中に起こった出来事だったのでその場を目撃したりもできず母は父が帰るまで不安でいっぱいだったことと思います。
父が帰ってきて経緯を話し、担当医からはなにかあれば来てと言われていたので(思えばもう何が起きてもおかしくない時期にきていると担当医は分かっていたのでしょう)救急車を要請したようです。
悲しくて怖くてご飯なんか食べられなかったし、子どもが目の前にいたけど涙をとめられませんでした。
無事に帰ってきたときは帰ってきて大丈夫なのかという不安と嬉しい気持ちがごちゃごちゃでした。
この日から約5ヶ月後に母は亡くなってしまうわけですが、今考えるともう体が限界だったんだろうと思います。
この日を境に本当に坂道を転がるようにの言葉通り急激に悪化してしまいました。
これまで母は再発してからいろんな不調は起きましたが回復したり、やや下降して停滞して維持みたいな感じできてて、がんの死ぬときってどう訪れるんだろう?と想像できずにいましたが、その時というのは本当に突然、そしてびっくりするぐらいのスピードでした。
電話越しのサイレン、実は父が病に倒れたとき母からの電話を受けたことがあり2回目でした。
これ本当きついですね。
目の前で何か起こってるのを見るのも衝撃でしょうが見えない中サイレンを聞くのも怖くて仕方なかったです。