これは公開すべきでないことかもしれない。
この世はバーチャルリアリティだという人もいる。
我らはコンピュータプログラムだということ。
それと似てる、それかそのままかもしれない考えだが。
この世は、集合無意識が作り出しているのではないか。
意識と潜在意識の例えとして、氷山が用いられることがある。
集合無意識は、氷山が単独でなく全部繋がっている。
ユングが研究していたらしいが、読んでない。ともかく、
個人というものは、集合無意識が生み出したもの。
物というものすべては、妄想。個人の妄想でなく、集合無意識の。
人間などは毎日睡眠などで定期的に集合無意識に帰っている。
おそらく、死後も帰るのだろう。
肉体は妄想なのだが、意識の欠片のようなものは死後も依然ある。
なぜか、集合無意識に帰ってから、こちら側にくるときはそのことを覚えていない。
妄想とはいえ、この世は自分勝手な世界を作り出せない。大金持ちになるとかできない。
自由ではない。集合無意識が制限している、制御しているからだ。
この個人の願いを押し通す方法は、引き寄せの法則だったり、願掛けだったりするわけだが。後述する。
運命というものは、集合無意識が決定しているならば、抗いようがない。運命というものは、計画が実行されることなのである。
個人でも集合無意識の片りんがある。それは夢を見ているときに感じるだろう。夢の中では現実離れしたことも
できる。実感として感じることもある。
本当はこの世界は集合無意識次第では、どのようなことも起こりうる。集合無意識は超、超知的高度なので、
支離滅裂なことは起きない。
集合無意識を前提に考えれば、カルマやら超能力やら、霊だとか、死後だとか、魂だとか、宇宙だとか、
考えられる全てに対して答えられる。
集合無意識といってるがそれは個人が感じ取れないだけであって本当は集合意識というものだろう。
爪が私の気持ちを分からないだろうということと同じこと。
カルマというが、なぜ前世を覚えていないのか、覚えていれば反省し、贖罪もできように。これも理由がある。
面倒くさくなってきた。書き続けるの。 さて。
前世を覚えていないのは、覚えていることによってあざといものが増えるからなのではないか。
テクニックとしてそれを用い、中身はそれほど変わっていないという輩が出てくる。意識して善人になるのと、
無意識で善人なのとは違う。前世を覚えていないのは、前世に頼ることなく、体得するべきだからだ。
来世に期待、とかいうのも少し違うこと。今世と直接的なつながりはないから。
悪人が絶対にいなくならない理由もある。単純に善人ばかりだとつまらないからである。
つまらないと感じるのは人間じゃない。集合無意識がである。
集合無意識は何をしているのか、それは、俺らをプレイ、あるいはリプレイしている。悪事を働く、そのスリル、
それらを実感として感じるために悪人が必要。悪人を逮捕してしてやったり、と感じるために善人はいる。語弊はあるが。
さて。運命というものはあるかもしれないが、果たして決定論的なものなのか。
運命を変えることができる存在は、いわゆる神なのではないか。
もちろん神も集合無意識の中にいるのだけれど、影響力があるのではないか。
宗教などは神頼みの一種だし。
未来のことゆえ運命なんてわからない。でも、とてもいい未来を予想することは難しい。というか、俺の場合
あまりいい運命ではないように思う。
この運命を強引に変える方法。神との合一である。すなわち一瞬でも、神になることといってもいいが、それは
罰当たりだろう。
神様に願いを聞いてもらい、変えてもらうのである。
魔術は手段である。集合無意識に神様の力で変えてもらうことである。
神様も怒りの神だったり慈悲の神だったり人間的なところがあって驚くが、決定的な人間との違いは
力があるかどうかだ。
力というものを考えると、神様でも階層があることが想像できる。
まるで企画を通す会社の制度みたいだよな。課長、部長、社長印みたいな。個人的な願望ならば
係長クラスで決済とか、そんなかんじ。神様に失礼だけれど。
生きる意味なんかも知れてくる。先述したが、俺らはプレイされる対象なんだ。一回こっきりしか、
再生されないつまらないものかもしれないけどもな。だからなんだ、どう生きろというんだ、というのは
答えがない。しいて言えば、面白く思ってもらえるような人生にしろよ。ということくらいだ。
君らもそうじゃないかな。死刑囚で死刑執行されるなんて、体験したくない?ゲームとして、リアリティをもって。
レイプする体験、される体験したくない?ゲームとして。
おれは、宝くじあてた人生を体験したい。神様にお願いしてるんだ、そのほうがおもしろいよと。
このまんまじゃなんだこの人生つまんね、て集合無意識に見向きもされないよ。