親愛なるあなたへ
こんにちは。鈴木真奈美です。
スリランカというと、どんなイメージがありますか?
紅茶、
アーユルヴェーダ、
インド洋の真珠・・・等々、
人気の観光地でもあります。
今日は、私たちが今、
この日本という国で
当たり前のように
平和に暮らせている理由について、
あまり知られていない、
でも決して忘れてはいけない
歴史のお話をしたいと思います。
「第二次世界大戦後、
なぜ日本はドイツや
朝鮮半島のように、
バラバラに分割されなかったのか?」
この問いに、
明確な答えを持てる人は
少ないかもしれません。
実は、日本の未来がまさに
「分断」か「存続」かの
瀬戸際に立たされていた時、
一筋の光を投げかけてくれた
国があります。
それが、インド洋に浮かぶ島国、
スリランカ(当時はセイロン)です。
■憎しみの連鎖を断ち切った、伝説のスピーチ
1951年、戦後処理を決める
サンフランシスコ講和会議。
日本がどの領土を失い、
どれほどの賠償金を払うのかが
議論される中、
当時の世界は、日本に対して
厳しい制裁と高額な賠償金を求める
空気で満ちていました。
中には、
「日本をいくつかの国で
分割して統治すべきだ」という
過激な案も、現実味を帯びていました。
アメリカ、イギリス、ソ連などは
日本を北海道と本州で分ける案を
検討していたのです。
その重苦しい空気の中で、
壇上に立ったのが、
スリランカ代表の
J.R.ジャヤワルダナ外相(当時/その後、大統領)でした。
彼は、仏教の経典を引用し、
凛とした声でこう語りかけました。
「憎しみは、
憎しみによって消えることはない。
慈愛によってのみ、
憎しみは消え去るものである」
彼は続けました。
「アジアの国々が
日本から受けた苦しみは理解している。
しかし、日本の復興こそが
アジア全体の平和に不可欠であり、
これ以上の制裁や罰を
求めるべきではない」
と主張したのです。
さらに驚くべきことに、
スリランカ自身も、
日本から攻撃を受けた被害国でした。
それにもかかわらず、
「日本への賠償請求権を完全に放棄する」
と、真っ先に宣言したのです。
■ 世界の空気を一変させた慈悲の力
この一切の私欲を捨てた
「慈悲」のメッセージは、
会議に出席していた
50カ国以上の代表たちの心に
深く響きました。
このスピーチをきっかけに、
日本を追い詰めようとしていた
国際社会の空気は一変します。
結果として日本は、
過剰な賠償から解放され、
領土を分割されることもなく、
独立国家として
奇跡的な復興を果たすことが
できたのです。
もし、あの時
スリランカの叫びがなかったら。
今の日本は、
北と南、あるいは東と西で
分断された、
全く別の姿になっていたかもしれません。
■ 私たちが受け取っているバトン
これほどまでの恩義がありながら、
日本の教科書でこの歴史が
詳しく語られることは
多くありません。
でも、日本とスリランカは
深い友好関係を築いてきました。
日本はスリランカの
インフラ整備や経済発展を支援し、
スリランカも日本を
大切に思ってくれています。
ジャヤワルダナ大統領は亡くなる際、
「かつて日本を救った縁」として、
自分の角膜を日本人に贈ってほしい
という遺言を残しました。
実際に彼の角膜は、今も
日本の視覚障害者の方に
光を届けています。
私は以前、この話を聴いてから、
いつかスリランカを訪れてみたいと
思っていたのです。
そうしたら、まさかのご縁で、
現地でグループメンタリングを
開催するオファーをいただきました。
5月に1か月、滞在してきます。
不思議なもので、
私は蟹座なのですが、
去年6月、木星が蟹座に移行してから、
海外に導かれる機会が続き、
去年9月にはアメリカ、
今年はスリランカへ。
土地を訪れるというより、
そこでの「出会い」が、
呼んでくれ、ハーモニーが
起きるようです。
スリランカでの
グループメンタリングで
ベストを尽くすのはもちろん、
「恩人」スリランカの空気を肌で感じ、
慈愛のバトンを
どう次に伝えていけるか、
感じてこようと思います。
パワーを受け取り、帰国したら、
夏至の瞑想会、
アドバンスコース、
15周年ワークショップと続きます。
みなさまにも、また、
還元していきますね!
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