周りの人間に、
値踏みされて、

「おまえはこれくらい」って、
「あなたこの程度だよね」って、


ラベル貼られまくって、
それに甘んじて、
悔しくないのか?


「あたしはそんなんじゃない!!」
「オレはその程度のもんじゃねぇんだよ!!」


自分のなかから、
溜め込んでた、
悔しさの声を吐き出せ!


自分の価値ってのは、
自分以外の人間に求めるな!

自分の価値は、
自分でつけろ!

「値踏み」に甘んじて、
他人から貼られたラベルに納得したままだと……


<自分というもの>を、
他人に死ぬまで<搾取され続ける>、
「都合のいい人間」に、
成り下がってしまうぞ!


それでいいのか?


…安かれ、
先に行かれた方々、、


わたしたち、
残され<気づいた>人間から、やっていきます、



どうか安心して見ていてください、

黙祷。
(気付きを得た人たちが、立て直していきますから…)



昨年の5月~7月まで、
角田市のとなり、山元町まで、震災ボランティアとして何度か行ってました。


作業の現場に赴く前に、
お寺へ、津波の犠牲になった方々へ「復興のお手伝いに行きますよ」とお線香をあげてくるのが、参加したボランティアのルールになってまして、

<人より感覚がひとつ多い>あたしは、
初めてお寺へ行った時から、
安置されている方々(お骨を納める墓が津波で流されてしまい、お寺に預けられている)から
<発信>しているものがあり、なんかしら感じ取ってはいました。


そして3度目の訪問のとき、
いつものように、線香をあげていると、


「わたしたちの分まで、生きてください。」


と、<言葉>で、あたしに伝えてきました。



先に眠る方々のひとりで、女性の方でした。

彼女から発したエネルギーは、穏やかで、津波に遭ったこの地に沢山の方々が尽力してくれていることに感謝し安堵していました。

彼女のメッセージは、
あたし個人もふくめて、
あの震災を生き延びた人達皆へのメッセージと受け止めました。


彼女に、
「たくさんの人がお手伝いに来てますから大丈夫です。安心して見守っててください」と言葉を返し、あたしは現場へ向かいました。


3月のあの日から、
もうすぐ2年が過ぎようとしています…