妻は3年前のN月、私に無断で子どもを自分の実家に連れ去ったのです。

たちまち保護命令が申し立てられ、私は妻と子どもへの接近が禁止されました。
 ※この不条理な話は後日書きます。

 

その後、妻側は婚姻費用分担、夫婦関係調整調停を申し立てました。
初回の調停の際、私は面会交流調停を申し立てました。
次の調停から面会交流も加わり、婚姻費用、夫婦関係調整の三本立てで調整を進めることになりました。

 

2回目の調停で私は一番最初に「子どもの養育状況が良好でない可能性があるため面会交流について優先的に調停を進めていただきたい」と主張し、調停委員、調査官とも同意してくれました。

調停を受けて、試行的面会交流の日程は翌月に決まりました。

 

「半年間会えなかった子どもに、やっと会うことが出来る!」

そう思うと私は喜びを抑えられませんでした。
「やっと会える!待ちに待った日が来た。」

 

裁判所のプレイルームでの面会時間はわずか40分間でしたが、久しぶりに会う子どもと濃密な時間が過ごせました。
子どもは私との楽しい日々を忘れていなかったのです。 v(^-^)

 

しかし、裁判所を出た頃から目から涙があふれて出てきます。
駅へ向かう途中、電車のなか、乗り換えホーム、自宅へ向かう道・・・ずっと、涙がとまりません。
子どもとの素敵な思い出が次から次へと頭の中を巡るのです。


子どもと過ごした40分間は夢のようでした。
そして、現実にある絶望感・・・半端ない。
このギャップは大きくとても辛い。


試行的面会交流を経て、次に子どもに会うまでに1年5ヵ月を費やしました。
弁護士の得意技“子供の引き離し”の術です。

離婚調停で相手方弁護士は「離婚して親権を渡さないと、子どもに会わさない」と言い続け、私は人質交渉を強いられました。

 

私はテロリストと交渉する気は無い!
さらに言えば・・・私は往生際も悪いのだ! (ง `ω´)ง