
広報のsuzu
です。先日父の誕生日でしたので、実家に帰っておりました。
家族の誕生日のたびに皆でグルメツアーを開催する私たち家族は、ある意味、本当に仲の良い家族なのかもしれません(^人^)
さて、先日、用事のついでに銀座界隈に足を運んできました。
銀座は、アートプロジェクトや展覧会などに参加したり、仕事の打ち合わせなどでよく利用する場所なのですが、ここ半年ほど足を運んでなかった気がします。
様々なギャラリー展示や企画展を見て周り、非常に面白い作品や作家さんにも出会いました。
ただ、この日本のギャラリー、日本で作品作りをする人の全体的雰囲気に、なんともいえな居心地の悪さも同時に感じました。
今日はその辺りのことについて書こうと思います。
日本では、小学校から美術は「感覚」という分野として扱われ、そういった教育の下で認識され続けて育ちます。美術は感覚的なもの。美術は才能だ。美術はセンスだ。美術はそういった感覚的なものが長けた人物だけが作り出すことができる「特別」なものである、と。
そのためなのか、作品を作る側の人間も
アートとは、何か特別な才能を持った人がやるもの。
だから、アートをしている自分は、何か特別な存在。
私は普通の人とは違う、特別な感覚を持った人間。
そういった意識が、かなり、本当に根底に存在しているような気がします。
でも、実際よくよく考えてください。
広い世界で、それを俯瞰して、大きな目で見渡した時に見える自分の姿を見れば。
自分はごく普通の、何の変哲のない人間であるとわかるはずです。
あるいはわかってるけど、認めない。わかってるけど見ないようにしているんです。
例え、評価された作品であっても、それは「その人が特別だから」評価したのではありません。
アートの流れの中、社会や価値観の移り変わりの中、そしてその人の心の流れの中で
その作品や価値観が、心を動かした結果なのだと思います。
自分がもし、無人島に一人だったら、あなたの作り出すものは圧倒的唯一の素晴らしすぎるものです。そしてあなた自身も何の迷いもないことでしょう。
比べる対象が世界中にごまんといて、悔しくなるほど素晴らしい作品を作る他人の存在があるから、自分が何を作るか、どんな「オリジナリティ」があるかと彷徨うのです。
無人島にいるあなたは最高です。迷いなく。
100人、1万人、1億人という人間の中のひとりである自分に、そして、この「社会的人間」を作り出すための都市生活、義務教育や制度の中で育てあげらえた人間である「社会的人間」が「個性」や「才能」というものに、振り回せれ、悩むのはあまりにも刻な話です。
もちろん、西洋のアートには、「アート」は庶民と裕福層を分ける機能を持っています。
でも、それには、歴史があり、そういうシステムが文化の中に溶け込んでいる世界があります。
しかし、日本で作品作りをする人の多くは、そういった西洋のアートのシステムや歴史を知らないにも関わらず、「アート」を特別扱いしている気がしてならないのです。
好きなものは、ずっと好きでいて欲しいと、心から思います。
でも、それは、特別である、というものではないのです。
私たちライフバールは、素敵な作品、素敵な価値観によって創られたものを、普遍的な価値として認めたいという思いがあります。それゆえに、様々な国や人に作品や価値観を発信していって欲しいという気持ちになるのです。
そして作家が、自己顕示欲や、自己の特別性という自意識をフラットにし、純粋に行動できる環境や機会を創りたいという思いが強くあります。
ちょっと理想論すぎるのは確かなんですけど。。
逆にそういった「特別性」の意識があるから、作家が作家であり続ける、という可能性もあるのも事実なんですよね・・・難しい話です。
長くなりましたが、ライフバールは、様々な作家の制作活動を応援し続けます。
それは、純粋にものを作るということについて、しっかり思考して欲しいという思いや
アートはもちろん、社会や世界の様々な側面や価値観を知り、ものを作って欲しいという、ささやかな思いの下、こういった海外活動をしています。
まだまだ夢物語が抜けてないない団体ではありますが
引き続きよろしくお願い申し上げます。
広報のsuzuでした!
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は、この辺にして、ライフバールのお話を少し。




