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ALONのブログ

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2011.3.11から、11年が経ちました。


今でも、3.11になると「あの時、どこにいた?何をしてた?」という話題になります。


最近、あの津波の瞬間に、訪問看護師がどんな状況だったのか?という文書を読みました。

ほんの極一部ですが。

「寝たきりの利用者さんの家に訪問中で、津波にのまれて亡くなった」

「担当者会議の最中で、ケアマネジャーなどを含めて、全員が津波にのまれた」

「偶然にも、海の近くの利用者さんがキャンセルのため助かった」

などなど。


あの瞬間まで、日常を送っていたのだから、そうなるでしょうね。



さてこの週末は、3.11から11年という事で、被災地をめぐりました。


震災後、何度も訪ねていますが、どうしても行きたい場所は「宮城県石巻市立 大川小学校」



海龍が小学生だから、余計に考えさせられる場所です。


初めて行ったのは、震災から間もなくの頃だったので、学校の周囲は荒れていましたが、今日行ってみると、立派な鎮魂の塔や「大川震災伝承館」が建てられていました。

3.11直後ということもあり、献花台には多くの花がありました。


「石巻市震災遺構 大川小学校」





雨の降る中、たくさんの人が来ていました。

当時の様子を伝えるボランティアさんもおり、グループになって話を聞いていました。


当時のままの黒板が掛けられた教室。







「 ここには 町がありました

 生活がありました

 いのちがありました

 子どもたちが 走りまわっていました 」

 


学校のすぐ裏手にある小高い山。

ここに登れば助かった命。

先生と生徒を含め85人が亡くなり、未だに4人の子供が見つかっていないそうです。


海龍はね、「こういうの見るの嫌だから」と言って、車に戻ってしまいました。

前回来たのはいつだっけ?2年くらい前だっけ?

その時はじっくりと見ていたのに、気持ちに変化があるみたい。

無理強いはできないので、私だけで見てまわりました。その時々で、ものの見方って変わるからね。


そして女川地区を通ります。

11年経った今でも、まだまだ工事をしています。

海抜の低い土地は更地で、みんな高台に家を建てています。




そんな中でも「ハマテラス」というショッピングエリアが。


復興のお手伝いとして、少しだけ買い物をしました。


そして震災後、行った事のなかった福島県の沿岸部へ。

福島第一原発により、帰宅困難区域に指定されているエリアです。

所々に「放射線量」の測定値が表示されていました。そして「帰宅困難地域につき 通行止め」や「通行許可証の掲示」など、未だに双葉町や、相馬市、浪江町などは人の住んでないエリアもありました。


このようなゲートがあちこちにあり、警備の人が立っています。どれだけ多くの人が警備をしているのでしょうか。


幹線道路沿いのお店やガソリンスタンドは、閉まっており草が生えている状態。


個人の家も窓が割れ、瓦が落ち、廃屋となっている家も散在しています。

あちこちに、黒い袋に詰められた放射性物質の土などが高く積まれて、トラックやショベルカーがたくさんありました。


福島の被災地は、宮城や岩手とはまた違った感じの被災の仕方だなと感じました。

地震と津波、そして原発の被害。

まだまだ、苦しんでいる人がいるんだな。


海龍にとって震災は、生まれる前の出来事で、いくら津波の怖さを伝えてもピンとこないみたい。

仕方ないか…とは思いますが、大きくなったら「ここに連れてきてもらったな」くらいに、思い出して欲しいなと思います。