もう何年も前に辛い思いをしてから、そこから脱出するためにいろいろな技をあみだした。
自分を楽にする方法。
自分本位になる。
“今”に生きる。
例えば 会社のために働かない。働くのは自分のため。
生活の糧を得るための仕事はするけど、仕事だけが人生じゃない。
先の計画や先の不安のためにある今じゃなくて、今、自分がしたいことをする。
明日できることは明日やる・・・みたいな。
最近、ちょっとそういう自分に疑問を感じてきた。
たぶん本当に元気になったのね。
ただそれだけじゃないよねー。こんな世の中だもの。
自分本位で今に生きてたら、生活していけなくなりそうだわ。
ってか、もう充分に会社のために働いてるし。
そうじゃなきゃ給料もらえないかもしれないじゃーん。
とはいえ、明日できることは今日もできること。
今日できるのにしないという怠惰な生き様に飽きてきたかもしれない。
まぁできると こからやりますか。
- ヤル気でねぇ・・・と嘆きつつ、本ばかり読んでいます。
- 読んだらここに覚書として書き込んでおこうと思っているのに、その前に次の本に手を出してまたその次の本に手をかけて・・・を繰り返し、記録していないのがどんだけ~(古っ)状態ですが、まぁおいおい書きましょう。
- とりあえず夕べお風呂のなかで読了したこれだけは書いておかんと。
- すげーいいっすから。
- オーデュボンの祈り (新潮文庫)/伊坂 幸太郎
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途中まではちょっと肌にあわないというか、よくわからない違和感があった。珍しいことなんだけど。でも読むのをやめてしまおうとは思わなかったし、いつのまにか読むスピードもあがって入り込んでいた。
まるで「伊藤」のようだ。
見知らぬ島、外界との接触を拒んで孤立した荻島につれてこられた伊藤が違和感を抱えつつ離れられないどころかどんどんと島の人たちと関わっていったのと似ていることに、読み終えてから気づいた。
吉田松陰に「あなたとは違う。私は『行動する人間だ』。」と言われた禄二郎が、死の間際に命を削ってつくったものはカカシ。それが優午。鎖国に向かう島を救いたいと出向いた先で傷つけられ死なんとしている自分を能書きをたれるだけだと卑下しながら作ったのが、田圃にたったまま動くことができないカカシ。
でも優午は違った。
未来を見通し言葉を発し、島の人たちの拠りどころとなった優午。鳩を救うために自分を犠牲にした優午。優午は行動するカカシだった。
願うということと、祈るということは違うのだとはっきりとわかった。
祈りとはそれ自体がもはや行動であり、祈りは行動を生む。ぼんやりと棚ボタでいいことがふってこないかと願うのとは違うのだ。
ただあるがままを受容して生きる島の人々の生き方もある。祈りを貫く生き方もある。
オーデュボンの祈り。禄二郎の祈り。優午の祈り。
この作品はミステリーに分類されているけど、一般に「ミステリー」と呼ばれるものとは一味も二味も違っている。ファンタジーでもあるし、シュールと評する人もいる。
わたしとしては分類なんてどうでもいいやと思うけど、そんなに単純ではない伊坂ワールドのファンになったことは間違いないです!