引っ越しをするたびに思う

なんでこんなに物があるのだろう、、

うちに来たことがある友人知人からは
それでも私は少ないほうだと言われる

父が引越し魔で、、笑

私が生まれて嫁ぐまでの25年の間、
引越した回数、、5回

平均5年に一度引っ越した、、びっくり

それも、、ある日、突然、宣言されるのだ、、

不動産が好きだったので

いい物件が見つかると

住んでいる家を売って買う、、を、繰り返す


そんな父に、私たちは振り回されつつ

今度の家は何年住むだろうか、、と、

次の引越しのことを考え、できるかぎり物を買わない習慣がついていた、、

引っ越しって、、大変なエネルギーだから、

それが好きな人と暮らすのは

たーーーいへん、、なのです。笑


それでも、、それはそれで楽しみだったりもして

次の家は、どんなかな、、ってニコニコ

父の口癖は

人は一つの場所に留まると成長しない

でした、、


いやいや、、

そう言って自分の引っ越し欲求を正当化してるのでは?、、笑


祖父が亡くなったとき、

父は、、祖父のタンスの前で、、

泣いていた、、


祖父の形見は、、タンス一つだった、、


そして、引っ越しの度に、、その古箪笥は、、

用もないのに、新しい家に共に運ばれ、、

父の傍らを、父が亡くなるまで離れなかった。




祖父は多くを持たない人だった、、

本当に残したのは、タンスだけ


祖父は物欲のない人だった、、、



引っ越しの作業をしながらそんなことを思い出し、ブログに書きたくなったのでした。


祖父の物欲のなさはどこから来たか、、

それは決して貧しさからではない、、
むしろ、、本物の豊かさを知っていたからだと思う

祖父が生まれたのは1910年、、

韓国、済州島で生まれ、日韓併合の年


それまで李氏朝鮮の時代だった背景にまだ身分制度のあった当時、両班と言われる貴族階級だった祖父の家系に祖父は生まれ、そのように育った

私が子どもの頃、済州島を訪れると、
村のお年寄りたちは、私を見かけると、道の端に立ち、頭を下げ、丁寧な敬語で話しかけられたりして恐縮した


その村の殆どの土地が祖父の家系のものでたくさんの使用人がいて、みんなお世話になったのだという


そんな家柄でありながら、男子が生まれず

姉7人の末生まれた祖父は

本物の



お坊っちゃま、、だったのだ、、



父とは育ち方が違った

なので、
祖父と父とは、、全く考え方が違っていて
よく、、、衝突もしていたけど、、

祖父は父がいなければ暮らしていけなかったと思う、、笑


だって、、、働くことを知らない、笑


決して怠けてるのではない、、


知らない、、のだキョロキョロ


明日のお金がなくても、、心配しない祖父、笑


毎日、、風情を楽しむのが日課、、



なにか、、物を買うときは

本当に必要で気に入ったものしか買わない、、

それも、、上等のもの


覚えている中では
たとえは、、春物のジャンパーが欲しいというので、、

あちこちのお店に連れていくのだけど、

色が気に入れば襟が気に入らない、とか

あちこち行っては試着して、、

店主に嫌な顔され、、

探し続けて、、、やっと、、見つける



足が弱くなって転んで骨折したときに

杖はカッコ悪い、、と、プライドが許さないのか拒否する祖父をなんとか父が説得、、


杖一本、、買うのに、、


半年、、探した、、笑


そんなだから、、

今思えば
祖父は最後まで、どの瞬間もカッコ良かった


背が180あったし、顔もそれなりに、、イケメンだったし、、ね、笑



物欲はなくても、、

ものを買うときの、あのこだわりに付き合わされる私達は、、大変だったけど


一度、手に入れたものは、、

大事に、、かっこよく、使い、


楽しみは、

お金を使わない

風情を楽しみ

詩を詠む



そんな祖父の

本物の豊かさを


今日は、、思い出し


これからの人生に見習いたいと思う、、