ひさしぶりに女友だちと話した。"彼女"ではない。たまに会う女友だちだ。
その子はふつうの仕事をしていない。一般的なOLではないんだ。いわゆるクリエイティブ系の仕事をしている。正確に言うと「クリエイティブ系の仕事をしようとしている」。クリエイティブ系の仕事は、なりたいと思ってすぐなれるものではないから。今はバイトをしながら、その「しようとしている」仕事の修行をしている。見習いみたいなことをやりながら。
彼女はその仕事をめざして活動を始めて、もう8年になる。この間、ひさしぶりに彼女と話して、どうしてあの子がいつまでもその仕事につけないかを再認識した。考え方がクリエイティブではないんだ、全然。
たとえば、鍵のかかっている扉があるとする。それをどうにかして開けたい。鍵はない。破壊して開けても良いと許可されているが出来ればあまり壊さずに開けたい。あとで修理するのも面倒だし。そこでいろいろ知恵をしぼる。ハッカーが得意といわれているピッキングを試してみたり。ドアノブを外してなんとか出来ないかと試してみたり。扉のすきまに磁気カードを差して、どこかに電気的な接触点は無いかと探ってみたり。
こういう場合は、とにかくいろいろ試してみることが大事なんだ。どうやっても良いと許可されているんだから。やればいいんだ。誰かを怪我させるようなことや、誰かに迷惑がかかるようなことはしてはいけないけど。それ以外なら何だって良い。扉を開けるために、あらゆる努力をするべきなんだ。
結果、扉は開かなかったとする。ピッキングやいろいろな工作は一切効果がなかったとする。そんな時、俺は思う。扉は確かに開かなかったけど、やったことは無駄にならなかったと。たしかに扉は開けることが出来なかったけど、いろいろと勉強になったと。もしかしたら、その「勉強」の中には、扉を開ける鍵を持っているひとに接近する交渉術もあるかも知れない。ともかく、やったことの全ては自分の知恵となる。力となる。これからを生きていく技となる。
ところが。彼女は違う。彼女はこう言うんだ。
「やったことは全部無駄だった。意味の無いことをやって時間を無駄にした。こんなことをしていても何もならない」
これなんだな。彼女がいつまでもクリエイティプな仕事につけない原因は。
システムのエンジニアをやっている俺でさえ(まあ、多少はクリエイティブな面もある仕事かもしれない)、自分がやったことに意味を見出そうとしているのに。これからクリエイティブな仕事につきたいと願っている人間が「やったことは全部無駄」だと? それでは何も産み出せないだろ。
このやり方は駄目だったけど、次の何かに活かせるかも知れない。このやり方はここでは役に立たなかったけど、今後使えるかも知れないから覚えておこう。
そうやって、ひとつひとつ「技」を自分の身につけていく。そうやって、少しずついろんなものを吸収していくことで、クリエイターになれるのではないのかね。違うのかね。
まあ、いいさ。疲れる。クリエイターになりたいのは俺じゃない。その彼女だ。あの子がやりたいようにやればいいさ。でも確信をもって言える。今のままじゃ、あの子は永久にクリエイターにはなれない。絶対になれない。