14年前、産後二日目に息子がミルクが飲めないと

あと、ほかにも体調がわるいといわれ、息子だけ

ドクターズカーに乗っていった、その日の夜。

夫も私もわけがわからなくて、言い合いした。

男の人って子どもを自分で産んでないからわかりにくい

ときがあるのかなー(^^;)


それでも、産後すぐの私は動けなかったし、夫が病院まで

走り、たくさんの診断名が書いてある書類を私に見せた。


「こんなことのために子供を産んだんじゃない」


一人病室でそうおもった。


だけど、なぜか、学生時代に共に学校に通った母校の

様々な障害や病気など抱えてる仲間たちが頭に浮かんできた。


「この子らを世の光に」なんだよ、「この子らに世の光を」じゃ

ないんだよ、といってくれた恩師の顔が。


「私自身が産んだこの子を私が否定したら、私の学んだこと

否定したことになる」


そうおもった。


診断書をにぎりしめて、自分で自分と夫の親に電話した。


その後も何回も「子育ての危機」がおとずれたけど、

いつも支えになってたのは大学時代のまなんだこと。


そして今は暮らしてる和歌山のつながり。


きづいたら、大学時代の恩師が和歌山にお仕事でたまにきていたり

和歌山とつながりがある先生がいたり


あの診察室では、この世で一人だと思っていたけど


思ってたことってすごい。


本当に先生たちや同期の友達たちと連絡取ってる。


更に友達が増えてる。


大学時代あんなに眠りこけてた私が41にして先生の

教科書よんでる。


それをいうと同期の友達が笑う。


離れてるけどいつもノートとってくれてたの覚えてるよ。


周りの人たちと産まれてきてくれた息子に感謝のお誕生日。


私が産まれて、退院した日桜がきれいに咲いてたらしいです。


お母さん産んでくれてありがとう。


のこりあとどのくらい生きれるかわからないけど

一歩一歩歩んでいきます。