感謝感謝の連続
約1年半久しぶりの投稿
人生の旅⑦20代後半 洗脳と奴隷生活
私は、この経験が今の人に接する仕事をしたいに繋がっている。
そして、DVを受けたり虐待を受けても逃げれない人の思考や感情がわかったのもこの経験があったからだ。
前回の後半は、こう締めくくっている。
ダンスを教えてくれた方が東京で仕事を始めたので手伝って欲しいとの事を言われた。
夫婦内は、セックスレスであったり相手の母親に保証人になって欲しいなど言われたりと
居場所がなかった。
この時に、無意識で何がありか知らない。
今だから言えるが本当は、寂しかった。
夫婦で話をして
単身東京に行く事を決意。
そして、別居で都会生活が始まりました。
東京には、新幹線で行った。
品川駅を過ぎ東京駅に向かう時窓を見ながら、絶対に成功してやると必ず成功してやると心に誓っていた。
この後、あんな風な地獄の様な人生が起きるとは、一切思わなかった。
東京到着。
今でもあの感覚は、どこか覚えている
その足で地下鉄に乗り先輩のいる葛西に向かいました。
葛西に到着。
職場は、先輩の家の空いてる部屋を事務所として使っていた。
私の部屋が借りられるまでは。
部屋を借りていなかった為、部屋をかりに不動産屋に向かい部屋を借りた。
そこは、6階建くらいのマンションでした。
3階でベランダからは、ディズニーランドの花火が見えるとの事
休みの日は、ディズニーランド近いし奥さん来たらディズニーランドに行けるとワクワクしていた。
しかし、そんな気持ちとは、全く逆になった。
職場となっていた部屋は、先輩家族が家族で生活を始めるから事務所借りるまでとの事で事務所兼自宅になった。
その時に言われたのは、「ベンチャーだから立ち上げは、仕方ないよ。」など言われた。
自分は、過去イジメられたり色々あった為、バカにされたのを見返してやりたいとの気持ちが凄く強かった。
成功したい必ず成功したいの思いがかなり強く
部屋が事務所となりました。
仕事は、会社が美容室へのweb広告の営業だった。
実は、営業経験がなく、関東と言う地で知り合いもいない。
ましてや、IT、広告業界、美容業界の事は、全く無知。
そして、事業の本当の立ち上げ
今では、スマホやタブレットなどがあるが当時は、ノートpcがあったもののwifiは、ほとんど無かった。
なので今思うとあれで、契約を取ってたと思うくらいだ。
それは、サイト自体無かったので営業先へのツールとして、ファイルにイメージ画像を入れてそれを観てもらい説明する的な感じだ。
会社の名前、サイトの名前も無名だった。
今でも覚えている営業初日は、火曜日だった。
行く店行く店、休みだった。
関東の美容室は、火曜日定休が多いのをこの時は、知らなかった。
自分の中で理容室は、サインポールがあり
美容室は、ないものとの認識だけでした。
そして、朝から回っていて
裏路地に入ったところに見つけたお店がやっていて、
飛び込んだ。
そのお店のオーナーは、30代後半くらいの女性で
最後まで話を聞いてもらい、やるよと言ってくれた。
本当に凄く嬉しかった。
今だにあの経験は、忘れない。
そして、翌日も営業に行き、隣駅での営業だ。
がむしゃらに頑張った。
そして、1か月頑張り目標を達成。
自分へのご褒美でディズニーアンバサダーホテルの朝食を一人で食べに行った。
あの時のサービスマンの対応にビックリ
必ず成長して宿泊まで出来るまで頑張ろと思った。
そして、頑張って必死でやった。
毎日、立ち上げだからと言って自分は、成功したいとの思いで頑張った。
休みもらなく頑張った。
そして、数ヶ月経った時いきなり先輩からお前は、お金の使い方が甘いと言われ、その日から1日1000円の支給になった。
実は、給与は、かなり少なく貯金を切り崩したり、そして、カードとかもあったが、会社の経費に使っていた。あとで返してくれるとの事でしたが、返してもらえなかったのです。
そう、先輩は、自分の成功したいとの思いをうまく利用したのです。
色々言われある意味洗脳でした。
そして、私は、地元の友達や元奥さんには、頑張っているうまくいっていると言っていた。
仕事は、本当に凄く契約も取れていました。
媒体自体認知され、単価も数ヶ月で最初の3倍の価格になりそれでも即決で契約が取れたりしていた。
しかし、心の中では、助けて欲しかったと今では、思っていたと思う。
こんな事ありながらも絶対に何がなんでも這い上がって成功してやるとの思いが強かった。
しかし、頼る人も近くに居なかったし
どうしたらいいかわからなかった。
1日1000円しか貰えない生活。
ご飯も食べる事が出来ない事もあった。
そして、スーパーの試食品を何回も回り食べたり、
喉が乾くと公園の水道を飲んでいた。
営業は、いつも数字が上がる事がなく落ちた時は
かなり怒られる殴られたり腕に根性焼きをされた。
正直逃げたかったが帰るお金も無く帰る事が出来なかった
精神は、どこかで崩壊していたと思う。
会社順調にいき約3年半後事務所を借り、ようやくプライベートが出来た。
それまでは、朝6時半か7時には、先輩が来る
そして、叩き起こされ生活感を出すなと言われ生活感をなくす。そして、朝から営業と取材回り
事務所に戻るのはいつも終電
そして、社長が事務所にいて報告などをして社長を2時半から3時に帰るがそのまま自宅に送る
帰宅は3時半、そして、風呂に入り就寝
この生活を繰り返していた。
事務所を借り半年くらい、もう、帰りたいと思った。
しかし、お金もない。諦めながら寝た。
そして、朝目が覚め帰ろうといきなり起き、少しの荷物を持ちそのまま逃げた。
ヤバイ、俺ほぼホームレスと一緒やと思った
そして、地元の以前からお世話になっていた派遣会社の社長に連絡を入れ事情を話した。
そしたら、駅に連絡をしてくれようやく帰る事が出来た。
まだまだ、書きけてない事が多々あります。
1回目の離婚は、東京にいる時にありました。
この会社では、従兄弟が亡くなった時、友達の結婚式があった時に地元に帰してくれなかった。
次回は、この辺りの事を書きたいと思います。
長文でしたが読んで最後まで読んで頂きありがとうございました。