心理カウンセリングをしている

チャネリングをしている

というと

 

 

心乱れることがないでしょ?って

聖人君子的な感じで

思われることがあります。

 

 

一切そんなことなく

冷蔵庫にある

自分のプリンを食べられたら・・・

 

 

縄人形に釘を打ち付けるくらい

烈火の如く怒り

一生覚えてるくらい笑笑

 

 

到底

聖人君子ではありません。

 

 

 

特に食べ物が絡むと

とても野獣になります…

 

 

 

 

 

 

 

自分のことを愛することが

どういうことなのか

カウンセリングのテーマでもあります。

 

今回もその部類のお話かなとも

思いますが    

 

 

かなり私生活な内容で

感じ方によっては

ろくでなしな私が露呈される内容です。

 

 

長文ですし

お時間ある時に読んでいただけたら

うれしいです。

 

 

 

 

今週

遠縁の叔母が亡くなりました。

 

 

 

私の祖母の妹です。

 

 

祖母は私が生まれる前

早くに亡くなりました。

 

 

祖母亡き後も

お正月には

うちに来たり法事に来たり

 

 

あのおばさん誰なん?って

感じの人でした。

 

 

 

祖母家系は

生まれが伝統あるお家柄で

いわゆるお嬢様でした。

 

 

○○(私の苗字)家が大事であり

 

考える単位が、「家」というもので

世間体をとても気にしている人でした。

 

 

○○(私の苗字)家に

ふさわしいか、そうでないか

一番気にしていました。

 

 

彼女からしたら

うちの家族は、低次の

恥ずかしい○○家だったから

気に食わなかったのでしょうね。

 

 

当時

嫁いでくる母の

学歴や出生地にも口出ししてきたり

 

 

私たち兄弟の学歴や生活態度

言葉使いまで

チェックをしてきて

 

 

父と母は

よく怒られていて

支配下に置かれていました。

 

 

うちの家族を指して

○○家として恥ずかしいといって

親戚中に言っていたこともありました。

 

 

法事でも私たち家族が

呼ばれることが少なくなりました。

(反対にラッキーでした)

 

 

 

そんな彼女に

私の父母は

とてもとても苦労していました。

 

 

絶対におばさんに口答えはするな。

我慢しろ。

 

 

そう私たち兄弟は

教えられてきました。

 

 

母が彼女から攻撃されて

隠れて泣いている姿も見てきたので

 

 

反発したら

母が怒られると思って

 

 

私たち兄弟は

罵倒されても、コケにされても

何を言われても我慢しました。

 

 

 

小さい時から

私は彼女のことが理解できませんでした。

 

なぜおんなじ家系で同じ血が

流れてる人を攻撃するのか・・・

 

 

 

祖父が亡くなった時も

父が亡くなった時も

 

 

彼女は母が

祖父と父を管理する能力がないと

責めたので

 

 

法事にも呼ばなくなり

距離を置きました。

 

 

正直○○家というしがらみから

離れられて私はほっとしました。

 

 

 

彼女は

うちだけを攻撃ではなく

そんな激しい性格なので

 

他の親戚も同じようなことを

していたのでしょう。

距離を置かれていました。

 

 

10年前に彼女が

脳梗塞で倒れた時

 

 

夜中に病院から電話があり

いますぐ手続きにきてくれと

連絡がありました。

 

 

事情を聞いたら

 

 

近所に住んでいる

親戚に電話をしたが

関わりたくないと

断られていたようでした。

 

 

すぐに私と母は

入院の手続きに行き

介護の手続きも一緒にしました。

 

 

この時の私は

病院に迷惑をかけたらダメという

気持ちからでした。

 

 

でも

叔母から言われたのは

 

 

こんな結婚もしていない小娘に

私の保証人になるなんて厚かましい

恥ずかしい!!余計なことして!!

 

 

 

でした。

 

 

入院や介護の申請での保証人が

私であることが

不服だったようです。

 

 

唖然とした私に

 

 

母は私に

ぐっとこらえるように

言いました。

 

 

また

我慢です。

 

 

この後は

たびたび病院から

呼び出されたので

会社にも事情を話して

会社を休んで行き

 

 

入院の身の回りの用意もして

退院時は、代わりにお金も払いました。

 

 

お金のことをいうのはみっともないこと

と言われたので

彼女に

お金の請求もできなかったし

聞いても来なかったです。

 

 

 

もう○○家の一員だから

仕方ないって

義務感でやっていました。  

 

 

 

でも退院時にも罵倒されて

 

 

お世話をされたくない叔母に

私が勝手に関わって

感謝もなく

お金も払っても

暴言を言いづつけらることに

ほとほと疲れたので

 

 

私は関わることをやめました。

 

 

そのあとは

10年ほど何も介護の方から

連絡がなく順調だったのでしょう。

 

 

でも

今年に入ってから

 

 

たくさん貯金がある人なのに

なぜか

生活費が足らないからと

兄がたびたび介護の方に呼び出されて

 

 

 

色々と兄と母はまたお世話を

しだしました。

 

 

 

かわいそうやん

といって…

 

 

 

まだ暴言は変わらず

お金は持っているのに

お金を払わない

 

 

なんで

こんな人の面倒を

自分たちの生活を犠牲にして

みないといけないといけないのか

(兄は会社を休んで行ってるし

 お金も渡している)

 

 

いつまでこんなことが続くのか

我慢をせねばならぬのか

 

 

特に母は

彼女にとても痛めつけられている

 

 

 

なのに

なんで面倒を見るんだという

私の憤り・疑問がふつふつ

マグマのように湧いてきました。

 

 

 

自己犠牲してまでお世話をする

 

兄と母の行為が

全く理解ができないこと。

 

 

叔母のいつまでもうちの家族を

見下している態度。

 

 

なんで、そこまでするんだ?

なんで、そこまで人でなしなんだ?

 

 

ただ理解ができない。

 

 

彼女を恨む気持ちではなく

ただ彼女の人間としても考え方や在り方が

理解ができない。

 

 

心が修羅のように激しく激しく

渦巻いて噴き出しました。

 

 

 

 

そして

 

 

先日亡くなられました。

 

 

兄と母は

 

すぐに病院に駆けつけて

献身的に対応をして

 

 

父と同じように

手厚く戒名も手配をして

お葬式も段取りをして

 

 

50万以上のお金を払っています。

 

 

私は

燃え盛る修羅の心は継続していて

 

 

亡くなられて悲しい

いいところに行ってねって

 

 

という

叔母を気持ちよく送り出して

あげる気持ちは

 

 

全く出てきませんでした。

正直今もありません。

 

 

でも葛藤はありました。

 

亡くなられて仏様になったんだから

気持ちよく送り出してあげるのが

人間として当然であり

○○家の一員として、きちんと

送り出さねば。

 

 

という気持ちを持てない

 

 

私はろくでなしだ。

 

 

 

だから

無理やり心に

 

気持ちよく送り出してあげよう

 

という気持ちを

 

打ち付けて

修羅の火を押さえ込もうと必死でした。

 

 

 

何度も自分を言い聞かせました。

 

 

 

でも

どうやっても出来ませんでした。

修羅のこころを抑えることができませんでした。

 

 

 

葬儀の打ち合わせを

している時に

 

 

 

ずっとうちの家をお守りいただいている

御住職さまに

正直に打ち明けました。

 

 

 

あなた(私が)が叔母さんを

送りだすのではなく

阿弥陀さまが送っていただけるので

 

あなたはそのまんまの

気持ちでただただ

おられたらいいんですよ

 

 

っておっしゃっていただき

 

 

私の心は

軽くなりました。

 

 

私の正直なこころのまんま

燃え盛る修羅のこころのまんま

 

 

お送りすることにしました。

 

 

この件から

私は、何かを学べるのか

乗り越えていく問題なんだとか

いつか彼女に感謝するだろうとか

 

 

のちのち

どうなるのかは

一切考えないでおこうと思いました。

 

 

この燃え盛る修羅のこころのまんま

しばらくいます。

 

 

正直な自分のこころのまんまで

いることにします。

 

 

自分のこころには嘘がつけないです。

 

 

 

明日は葬儀です。

今の私のこころのまんまで行ってきます。