無心 (むしん)
「無心」は中国禅宗の中心概念である。
精神分析のユングが鈴木大拙の影響を受けて、
「集合的無意識」の語を創唱したことは有名である。
それに大して、大拙は「それではまだ禅にいう
<無心>には届かない」と言って、「宇宙的無意識」
ということを言われた。ユングは、「先生の言われるところは
分かるが、私は科学者だから、そんな形而上学的な発言は
できません」と答えたという。西洋では「無意識」の世界は
現代になってフロイトによって初めて発見された。
しかし、東洋においては早く2,3世紀ごろから、インドにおいて
喩伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)学派の祖師たちによって
説かれていた。ユングの説は、その第八阿頼耶識(あらやしき)の
概念を受けて、それを科学的な検証のもとに唱え出したものである。
こうして、唯識と精神分析の相互研究は、今日は西洋近代科学の
枠を超えて、「新しい科学」の創造というところまで進んでいる。
カウンセリングの道にたずさわる人びとが禅の「無心」の説に
学んで、新しい道が切り開かれる日も近いと思う。
拙著「禅のことば」(1981)を参照されたい。
(「カウンセリング辞典」より)
一般ピーポーのワシにとって、「無心」になることは
かなり困難であるが、
「ぼーっ」としたり
「たそがれる」のはとっても得意である。
でも、ちょっとした「ぼーっ」でも、
とっても大切なことなんじゃないかなぁと思う。
ここ数日、電車に乗るときも倍の時間がかかる
各駅停車に好んで乗ったり、
「たそがれるってイイよねぇ~」と人に熱弁したりするのは、
カラダがきっと欲しがってるのね。
そこのアナタも、
釣り糸を垂れたり、
なんも考えずにお散歩したり
してみてくださいな。
潤ってねぇ~