▼思考停止
「人間が頭を使わないということは、支配者にとってなんと幸運なことか!」と、独裁者のヒットラーが言ったそうだ。「思考停止」による問題意識の喪失は、それほど怖ろしい。いわんや知識社会においては致命的である。私たちは、なぜ「考える」のか?。「分からない」から「考える」のである。一連の講座で私たちは、その「考え方」の手順と思考技術を学んできた。その意味で、学校は「勉強する」というより「勉強の仕方」を勉強するところである。ところが「思考力」を司る脳の前頭葉もまた老化することが分かっている。意欲と感情のコントロールがうまく調和できなくなってくるのだ。例えば「言われたらするが、自分からは何もしない」といった能動性の低下である。ここで留意すべきは、思考の衰退が感情の老化から始まることだ。つまり「無関心」は老化現象なのである。そして「ここぞ…」というときの他者への関わり方は自然に身につくものではない。大切な人への関心もまた優れた教養である。「辛い」「寂しい」「愛しい」といった切ない心情は、行動のモチベーション(動機付)であると同時に義理も人情も「考える葦」(思考力)の源泉なのである。
