教室も英語も関係ない、映画を観た感想です!
昨夜は久しぶりの夫婦でおうち映画
子どもと一緒だと難しいかもと後回しにしてた『復活の日』
おいおいおい、開始早々出てくる俳優や製作陣、ジャニス・イアンの名前に興奮する私!andポカンとする夫
「え!オリビアハッセー知らんの?ロミジュリ見たことないの?」一旦止めて、布施明まで説明する。
「篠山紀信と結婚した南沙織ばりに男性からしたら夢のある話やんな!」と言ってまたポカンとする夫に説明する。
※私が生まれる前の出来事です。
さて、この映画は小松左京『復活の日』が原作。
『日本沈没』は超有名だけど、私はまだどちらも読んだことがない。
私はジャンル問わず本を読むけれどSF小説は苦手、かもしれない。
人生最初に出会ったSF作品はたぶん『ドラえもん』
小学生のとき星新一や小松左京の子供向け短編集を読み、中学生のときに筒井康隆作品に出会う。
『時をかける〜』の勢いで読んだ『最後の喫煙者』のグロ表現に強い衝撃を受け、たぶんそれから苦手。
できうる限りのエログロを詰め込んで最後に宇宙人が出てきて話を終わらせるみたいなのがSFだと思い始めた思春期。
だから大人になってもなかなか長編SFには手を出せずにいたけれど、今回『復活の日』を観て、食わず嫌いしていたことを後悔。読もう。
映画の始まり、静かにウイルスが広がっていく。
デモや病院に殺到する人、闇営業する風俗店で集団感染。
え、現代と同じじゃん。愕然とする。
核兵器と細菌兵器。
小松左京がすごいのか。人間が進歩してないのか。
頭がグルグルと混乱してくる。
そしてこれは決して小松左京の予知予言作品ではなくて、カミュのペストもそうだけど、
人間の本質というのは変わらないということの「表現」なのだ。
疫病戦争災害、、、文明の危機に直面するたびにお金も食べ物もなくなって、最後は愛にすがるじゃないか。
誰も救ってくれない絶望のなかで、一人立てるか、未来を信じられるか、歩き続けられるか。
草刈正雄がひたすら歩き続ける終盤のシーンは神に見放されたキリスト、海を割れないモーゼ、方舟から放り出されたノアに見えた。
以上が映画を通して私が感じたこと!ざっくり。
あと英語オタク的には作中のセリフに "germ"と"virus" が混在していて、原作はきっとすごい取材を重ねて書かれてるはずだからどうなってるんだろう?というところが気になった。
Kindleで読めるかなー。探そう!