ブログネタ:よく眠れていますか?
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1941年12月8日午前3時(日本時間)、ハワイでは12月7日午前8時頃
日本軍がハワイのパールハーバーを攻撃して
第二次世界大戦がはじまりました。
その日から今日で67年。
中学のとき、12月8日に社会科の先生が
「今日は何の日か知ってる人?」って質問したのをすごくよく覚えています。
11月23日に友達と2人でバスを乗り継いで
パールハーバーのアリゾナメモリアルに行きました。
1177名の米軍兵士が犠牲になり
遺品や日本戦闘船などの展示があります。
入館自体は無料ですが5ドル払って日本語の通訳機を借りました。
兵士たちの日記や家族へ宛てた手紙を読むと胸がしめつけられました。
25分間の映画の前に当時19歳だったおじいさんの演説がありました。
真珠湾攻撃で負傷し9ヶ月間入院していたそうです。
映画は全て英語でしたが、Japan,Japaneseという言葉が
多く飛び交い、すすり泣きの声も沢山聞こえました。
訪れている人の大半は白人。
日本人は私たちのほかに2組しかいませんでした。
戦争って、残酷です。
確かに宣戦布告をしなかった日本は極悪だけれど
米軍は広島、長崎に原爆を落としたり、東京大空襲など
一般市民を襲ったのも事実です。
記念館での解説では
あなたなりに感じてください、とありました。
わたしはその後2日間、戦争の夢にうなされたのでした。
小学校の頃、戦争の本とかたくさん読みました。
8月15日には必ず黙祷したし、家族で
裸足のげんや蛍の墓を見ました。
すっごくショックだったのか小学生の頃は
戦争の夢をたくさん見てました。
わたしはきっと戦争で亡くなった人の生まれ変わりにちがいないって
思ってたんです。
戦争中は全世界の人々はよく眠れなかっただろう。
最近ハワイの歴史の本を読んで、
第二次世界大戦中、ハワイに住む日系人は差別されて
いたことを知りました。
ハワイに骨をうずめるつもりだったり
ハワイで生まれ育ったのに日系というだけで
門限が定められていたりしたそうです。
特に日本語教師や、医者はアメリカ本土の収容所に送られていたらしい。
だからローカルジャパニーズにとって日本は祖国でも
特に戦争中は日本のことを恨んでいたりする。
そして、日本領ということで韓国系の人々も差別されていたそうです。
ハワイの幼稚園ではいろんな国の血が混ざった子がたくさんいて
みんな友達なのがとっても新鮮だった。
約70年前だったらみんなが平和に遊べることなんてなかったろうに。
普通に日々暮らしていると戦争のことを
考える機会がなくて忘れてしまいます。
祖父は戦争に行ったそうだが両親は戦後生まれだし、
意識して戦争と平和について考える機会をつくるのも重要だと感じました。