2022年 8月 24日(水)


自由への扉


小さい頃から、この家を出ると決めていました。



父親がDVだったのでねガーン



母を連れて逃げようとか、私が守らないととか、いつも考えていました。



実際に叶ったのは20歳の時



母が、

「佐和子、行きなさい!」と

玄関に立ちふさがる父をおさえ、
チャンスを作ってくれました。

それを振り払って阻止しに来る父親を力いっぱい突き飛ばし、自由への扉を開いた私でしたダッシュ



「私は大丈夫だから行って」と言ってくれた母。

しかし、母を連れて行けなかった事、結局は守ってもらっちゃった事が気がかりでした汗


"ありがとう"の反対語は"当たり前"


実家を出ると

当たり前の感覚で生きていた自分に気づきます


毎日の食事、掃除に洗濯、寝床がある事


母が料理などの家事をしてくれていたから、ご飯を食べ、キレイでシワのない洋服が着れていましたキラキラ


父が働いたお金で家賃を払ってくれていたから、あたたかいお布団で眠る事が出来ていましたキラキラ


それらは当たり前ではなかったと、
気づくことができたんです。


当たり前から感謝の気持ちに変わりましたが、父のDVが無くなった訳ではないので、距離は開いたままでしたが…


それから色々ありましたが、結婚をし、女の子を2人授かりました。

しかし、変わらず母を迎える事は出来ないままでした。



長女が6年生になる頃、

 夫の商売も軌道に乗ってきましたアップ


一緒に暮らすまではいかなくとも、

ゆっくり何日も泊まってもらえる部屋を用意する事は出来ましたおねがい




​あれから10年…


そんな矢先でした。


初めての父からの電話!


それは、


母が事故にあったという、知らせでした。



先に元夫が病院に到着。


私は習い事をしていた娘たちを迎えに行き、泊まりの支度もせず、


ばぁばは運が良いから大丈夫だょ


などと言いながら、病院へ向かいました。




今日で母が亡くなって10

早いものです。



母の死で変わった事があります。

それは父への気持ち



母が亡くなった時、

「あぁ、逝っちゃったな」

「アイが死んじゃったよ」


父はそう言って肩を落とし、必要なこと以外は話さず、何ヶ月も元気がありませんでしたショボーン



毎日小さな事で怒鳴り散らして、気に入らないと直ぐに手を上げる父雷


あの目で見られると、

に睨まれた蛙の母と私滝汗



もぉそんな姿はどこにもありません


 


『そっか、、、父は母のことを愛していたのだな』




そう感じた時


何て不器用なオトコなんだょチュー


と、笑いと涙が込み上げて、



曲がった愛の父親を、

子供に迷惑をかけたくない母親を、

全て父のせいにしていた私を、


愛おしい と感じ、


受け入れることが 出来たんです。



父親のことを憎んでいた

自分を赦せた 出来事ウインク



いつまでも意地を張って

父親と向き合わない私に


母が気付かせてくれた凄い体験キラキラ



今ではすっかり優しい父親であり、

行く度にお小遣いをくれるジィジ札束


離婚の報告の時も

「そっか帰ってくればいいじゃんか」


言ったのはその一言だけ

とても心に染みました照れ



暴力は1ミリも必要ないけれど

子供のために自分を犠牲にする必要もないけれど、

色んな愛の表現があるものですね〜デレデレ



お父さん、お母さん

ありがとうね、愛していますラブラブ