昨今の世相から言わせると

夜の歓楽街のお話は

とんでもないことなのかもしれない

 

時代は昭和のお話

そして何より

飲酒を強要し無理やり

お酒を進めたことは

一度もなかったよ

 

 

アロエは上の学府に進んだころ

学業以外に何かをやりたいと

思っていたんだけど

学内のサークルに入るか

学外の活動に参加しようか

迷っていたんだ

そんな時

新聞を見ていて

ふと目に留まったサークルがあった

 

学外のサークルを選択し

そして面接に行き参加することになった

そのサークルは、参加者は社会人と学生

学内のサークルであれば

当然同世代の人間関係の世界

アロエが、選択したのは

学生だけではなく、社会人も参加する

そのサークルに魅力を感じたからなんだ

 

今にして思えば、その選択は間違っていなかったし、その後のアロエに与えた影響は

計り知れない

 

そのサークル活動の発祥は米国

そして日本全国に拠点を持つ仲間がいた

道内各地や東京で開催される大会などにも

参加したなぁ~

 

アロエたちが去り

長い年月が経過した今も

そのサークル活動は継続している

 

 

会合が終わった後

行きつけの喫茶店に行き

社会人や学生の立場に関係なく

活動を含めたいろいろな話を

したなぁ~

 

そんなサークル仲間たちとは

よく酒宴を開いたものだった

 

 

夜の歓楽街の話はこれを最後にします

 

 

とある会合の流れでの酒宴の席

 

場は盛り上がり

カラオケなどまだない当時

歌は手拍子

かわるがわるの歌が始まり

ついには

 

 

お猪口では足らず

小鉢での日本酒の回し飲みが始まり

一回りすると

小鉢がどんぶりに

飲み干す人パスする人 いろいろだ

 

そして、その日のメインの鍋料理

その大土鍋の蓋へとエスカレート

 

湯気抜きの大きな穴を指でふさぎ

なみなみと注がれた日本酒を

ぐびぐびと飲んだ人は

十数人の中で 2人

 

そのうちの1人は アロエ

 

イッキ イッキ イッキ

そんな掛け声なんかはなかったよ

 

 

全く別の話なんだけど

泥酔し

家の玄関の鍵も開けられず

呼び鈴を押し

そして戸を開けた母から

 

「自分を見失うような飲み方をするな!」

の一言

何時に帰ろうと、朝帰りしようと

一切何も言わない母だった

 

ちなみに、その時は

人生、後にも先にもダダ1回の三日酔い

 

 

ただのお酒のみのしがない話です  が

 

 

高校時代から夜の歓楽街に出向き

父に連れて行ってもらった

当地有名な焼鳥屋の常連馴染み客になり

特定の人だけが入れる奥座敷の出入り解禁

下駄をはいてディスコに出向き

入場禁止を押し切り裸足で踊った事

 

年頃の男女で構成されていたサークルだったけど

不適切な出来事を聞いたことは一度もなかった

 

 

そのサークルの代表になるとき

先輩の代表から言われたことは

運営に関する詳細ではなく

ただ一言

「男女で構成しているサークルだから

 女性狙いの不埒な輩は

 徹底して排除しなさい」だった

 

 

夜の歓楽街

ただのお酒のみが唯一自慢できることは

馴染みの店も多かったんだけど

 

ただの一度も

ツケで飲んだことは一度もなかった

事かなぁ~