朝から小雨の降る土曜日


午後に入って小降りになる。 芝良、ダート重の発表


テキーラに応援の投票、例によって後方待機。


直線向いて大外を上がってくる。 テキーラ頑張れと応援しきり。


勝負所の200m標識で、途端に脚色一杯。 万事窮す。


先行した③ミッキードリームの上がり33.5、全馬の上りが33秒台であった。


これでは後方待機組は、全くの用なしである。


⑥シースナイブのパドックでの出来最高これを中心に、③,⑧、②で3連複ボックス。②-③-⑥で元割れ。


               ギャンブルに人情無用 


          以後心得よ。 何時も自問自答の言である。

「夏枯れ」と言う言葉が、ぴったりのこの頃の競馬。


出走表を眺めてると、新馬以来 期待のテキーラ が三宮特別に出ている。


前走、500万以下1800を1;45.8の好タイムで、2着場を2馬身1/2突き放した好走を再現するか。


オープンから2階級降級のミッキードリーム


1600級準オープン化らの降級、好調教のシースナイブ、


前2走が好調のベストクルーズが3着狙いで。








ウエブ に次の様な記事があった


M9で想定以上の津波「阪神16市襲う」


ウェブ 参照 ↓

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110616-00000536-san-soci http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110616-00000536-san-soci



 地図で浸水すると示されている区域の大阪平野は、古代、上町台地が海に岬のようにとび出して、東側(右側)は河内湖と云う汽水湖で、大和(奈良県)から大和川が流れ込んでいた。


 神武東征の折りには、河内湖の日下(草香・クサカ)(地図の大東市)に上陸し、生駒山脈を越えて大和(倭)へ入ろうとした(古事記)。

 

 中世 徳川家康が大阪城を攻めた時 地図の枚方、大東、八尾と生駒山脈の麓を南下し、これより西に進み天王寺から、大阪城(地図の大阪府庁)へと進路を採った。 この時代でも、河内湖の名残があり、大和川が注ぎ、数本の川(現在寝屋川水系と云う)のある湿地帯であったので、家康は足場の良い迂回作戦を採ったのである。


   注;地図の大和川は、江戸時代中期(1704年宝永元年)に、奈良と大阪の境の河内柏原から西に向かって堺方面に付け替えられた(新大和川)。河内平野の湿地帯は耕作地となり綿花の栽培が盛んになった。

明治に入り、東洋のマンチェスターと言われる綿布の最大産地となった。


 この報道を見て、東北太平洋沖地震並みのM9の地震があったなら、大阪平野は一瞬にして、2000年以上前の縄文・弥生時代にタイムスリップするのだと、大阪平野の古代文化を研究している私にとっては、非常に興味深く思った。

 

 因みに、東南海地震は1944年に、昭和南海地震は1946年に発生してから、今日まで地震は発生してない。


従って約60数年の今 東南海・南海地震の発生の確立が高いと危惧されている。


(1995年の淡路神戸大震災の兵庫県南部地震は、内陸型地震である。)

 
記事↓

M9で想定以上の津波「阪神16市襲う」東南海・南海地震で試算

産経新聞 6月16日(木)14時1分配

    地図のベージュに塗ってある津波の浸水区域が、2000年以上前は丁度海であった部分。 

    淀川・大和川によって運ばれた土砂で、現在の陸地になった。( 注記入)

M9で想定以上の津波「阪神16市襲う」東南海・南海地震で試算
拡大写真
津波の地域分布試算(写真:産経新聞)
 30年以内の発生確率が60~70%とされる東南海・南海地震が、東日本大震災と同じマグニチュード(M)9.0規模で起きた場合、大阪湾岸から約15キロ離れたJR大阪駅などのほか、大阪府北東部の北摂、河内地域など約40キロ離れた地点まで浸水被害を受ける可能性があることが、専門家の試算で分かった。津波の規模は、これまでの南海地震の想定より3メートル高くなるとみられており、自治体は早急に暫定的な対策を打ち出すことが必要となりそうだ。

[図・表でみる]緊急地震速報の「空振り」はなぜ?

 ■上町台地の府庁と府警、防災センターは被害を免れ

 試算したのは、東日本大震災復興構想会議の委員で、関西大社会安全学部の河田恵昭学部長(社会安全学)。大阪府咲洲(さきしま)庁舎の安全性を検証する専門家会議への参加も内定している。

 河田氏の試算では、東南海・南海地震がM9.0規模で起きた場合、大阪湾岸では高さ5.5メートルの津波が発生する可能性がある。地盤の高さと照らして浸水域を描くと、被害は大阪市周辺などで計16市前後に及ぶことが分かった。

 大阪市内では、JR大阪駅(北区)や新大阪駅(淀川区)、市内のメーンストリートの御堂筋や市役所(北区)も浸水域に入るほか、府咲洲庁舎(住之江区)や市営地下鉄、地下街にも大きな被害が出ることが予想される。

 大阪市の南の堺市では、湾岸に近いJR阪和線以西が水没。さらに、津波は淀川などをさかのぼり、大阪府北部の北摂地域にある豊中、吹田、摂津、茨木、高槻の各市や、東部の河内地域にある守口、門真、寝屋川、枚方、四條畷、大東、東大阪、八尾の各市にも被害が広がる可能性がある。また、兵庫県尼崎市でも被害が想定されている。

 大阪市内では、海抜約20メートルの上町台地にある府本庁舎(中央区)や府警本部(同)、市立阿倍野防災センター(阿倍野区)などは被害を免れると想定。ただ、これらの建物も上町断層帯が近くを通っているため、直下型地震に見舞われるリスクを抱えている。

 国の中央防災会議ではこれまで、M8.4クラスの南海地震で大阪湾に到達する津波の高さを2.5メートルと想定。浸水想定域も、大阪市の湾岸部や堺市、尼崎市の一部にとどめていた。

 東日本大震災を受け、同会議は東海、東南海、南海の3つの地震について、連動被害想定の見直しを始める。しかし、各自治体が新たな地域防災計画の策定を終えるのは、平成25年ごろになる見通しだ。河田氏は「行政は、中央防災会議の結果が出る前に、津波対策を暫定的に示す必要がある」と指摘している。

( 以上記事はウエブより転載)

昨今 いやに”hartnaeckig”と云う言葉が、頭にこびりついている。


hartnaeckigとは ドイツ語である。英語では obstinacy と言うらしいが、今はピンとこない。


若い時、先輩から事あるごとに”hartnaeckig”と言われた記憶が蘇ってきたからである。


本来の意味は、固い項(うなじ・首の背面) 転じて ”頑固”である。


上述の先輩の言う日本語的には強固、頑丈、堅固と良い意味にも使われていた。


hartnaeckで連想するのは、”こって牛”(関西・大阪河内地方の方言)の首が短く 押しても引いても、頑として動かない牛。特に牡牛を指す。)

 参照:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q133169213


人が何と言おうが、俺でなければならないのだとは、さしもの”こって牛”もたじたじであろう。





 東日本大震災に続く福島第1原発事故以来、全国にある原発の定期点検後の再稼働が中止になっている。


国民大多数の思いは、脱原発に向かっているようだ。


 人類が 火をコントロールすることを知って、今日の文明を持つようになったのは誰もが知っていることだ。


人類が、山火事で猛威を振った恐ろしい火を自由に制御し、食物を炊いたり、暖を採ったり、火の利用による


文明の夜明けをつくった。 やがて、火によって鉄鉱石より鉄を造る術を発見し、石器時代より鉄器時代へと進歩


し、地球上で他の動物より絶対の優位に立つ存在となったのである。


 しかし茲に至るまでに、先人は焚き火の火の粉から山火事を起こしたり、住居を燃やしたりの試行錯誤の永い


年月の内に、竈を築き、煙突を設け、風除けの囲いをし、更に土壁で類焼を防ぐ等安全の対策を造ってきたので


ある。


 1945年 原子核崩壊のエネルギーを、人類破滅の原子爆弾として手にした人類は、その後、原子核の


連鎖反応を制御することに成功し 原子力の平和利用の原子力発電と共に第二の産業革命をもたらしたのであ


る。


 人類が、始めて火を自由に利用した様に、現代人は原子の火を手に入れたのである。


先人は、火の恐ろしさを知りその防備に数千年の歳月を要したが安全な利用法を考え出した。 


現代人は、原子の火の恐ろしさを忘れ、防備を無視し安易に経済性のみを追求したと言われても、反論できない


であろう。


 そして、今となって放射能の恐怖におびえて、脱原発、反原発を声高に叫んで入る。


(当blog記載中、石原自民党幹事長が、反原発にヒステリックになっていると発言したとのニュースが入った。

表現は些か好ましくないが、付和雷同の感であるとは、彼の言いたい事であったと思う)


現代の科学の総合力を持ってしても、安全を確保できないと言うのだろうか。 


原子力安全・保安院は、地震学、土木建築学その他あらゆる科学・人文科学まで網羅して検討し万全を期した


上での原発建造の結果で、この度の事故が 想定外であったと言えるだろうか。


マグネチュード9 震度6強の地震であれば、原発域地内の地割れ(断層)、原子炉と発電棟を繋ぐ循環回路の


亀裂は当然予測されることで在り、十分な安全対策をしたとは到底思えない。


淡路阪神大震災で、古いJRの高架が無傷だったのに、近代的?建築法を駆使した阪神高速がものの見事に崩


壊し、震災後京阪神地区の高架の橋脚が補強されたり、建造物に免震装置が考えられた記憶が未だ新しいの


である。


今、ショックの余り いたずらに原子力の利用を恐れるまえに、先人が火を手の内に入れた如く、あらゆる知恵を


集めて、安全で完全な原子力を利用する方法を考えるべきである。


近代において、電力無くして、産業はもとより、健全な民生は得られないのである。