『 カジノ 』 | 横浜紅葉坂シネマ倶楽部

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映画・音楽の感想を中心に・・・(注:ネタバレあり)


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【 制作 】 1995年

【 監督 】 マーティン・スコセッシ

【 出演 】 ロバート・デ・ニーロシャロン・ストーン

        ジョー・ペシ 他

【 時間 】 179分


【 内容 】

舞台は1970年代のラスベガス。


”エース”ことサム・ロススティーンは、負け知らずの”ギャンブルの神様”。

しかし、彼にとって「ギャンブル」は仕事でしかなく、

そのうえ自分のツキを信じるのではなく、

徹底した情報分析に基づいて理性的に賭けをする、

石橋を叩いて渡るような慎重な性格の持ち主でもあった。


マフィアの安定した稼ぎ手として働き、次第に信頼を得た彼は、

ベガス一のカジノ、「タンジール」の実質的な経営者として誘われる。
かつて不法賭博で逮捕された犯罪歴があるため、

カジノ経営者のライセンスが下りないのではないかと心配するサム。


しかし、申請手続き中であればカジノ運営は可能であること、

申請の順番待ちが10年はあるので、

10年後に申請が却下されても”飲食責任者”等、

また別の肩書で申請をすれば、

再び申請手続き中で順番待ちに回るので問題ない、との話を聞き、

申し出を承諾する。


こうして肩書は”宣伝広報部長”でありながら、

実質的にカジノのボスとなったサムは、
プロのギャンブラーの目線からカジノ経営を改革し、

確実にカジノの売り上げを上げていく。


親分衆はますます貴重な稼ぎ手になったサムの用心棒として、

サムの幼馴染であり親友、

そして手の付けようがない凶暴さを持つニッキーを付けるのだが・・・


【 感想 】

3時間に及ぶ、マーティン・スコセッシ監督の長編作品。


デ・ニーロとジョー・ペシのキャスティング、

ラストシーン少し手前から始まる冒頭部分や、

強烈で生々しい暴力シーン、実話に基づいている点、

それぞれの登場人物によるナレーションなど、

少し前に紹介した『 グッドフェローズ 』 に酷似した作風で、

舞台や人物の設定だけをベガスのカジノ世界に移した感もある。


冒頭、デ・ニーロの乗り込んだ車が爆発するシーンで幕が開く。


そして、そもそもカジノでは客に勝ち目などないことや、

役人や警察を賄賂で抱き込んでの営業、

売上金が内部の人間に次々とかすめ取られて減っていく様子、

イカサマ師との終わりなき戦い、

ベガスを裏で操る者たちの正体、等々・・・

華やかなカジノの裏に存在した事実が、淡々と説明されていく。


特に、カジノでは常に誰かが誰かを監視する「監視社会」であることが、

サムの慎重な性格とともに、その先の話に大きく関係している。


やがてサムは美しい女ハスラーのジンジャーに惚れ、

金や宝石を餌に彼女の気を引こうとする。

ジンジャーはすぐにサムになびくが、

彼女はレスターというどうしようもないポン引き男に惚れこみ、

手に入れたお金を次々とレスターに注ぎ込んでいた。


サムにはそんなジンジャーの行動が理解できなかったが、

お互いの信頼と思いやる気持ちがあれば愛も育ち、

結婚は上手くいくと考えていた。

そして、何があっても安定した生活を保障することで、

ジンジャーとの結婚にこぎつける。


しかし、結婚後もレスターへ金を渡そうとするジンジャーに怒り、

サムはジンジャーの目の前で手下にレスターを殴らせる。

ジンジャーはサムに怒り、憎み、絶望し、

次第にアルコールとドラッグに溺れ、

家出を繰り返すようになっていく。


順調だったサムの仕事も、

賄賂として雇っていた地元役人の甥をクビにしたことが発端となり、

サムが実質的にカジノ運営の権利を握ることの正当性をめぐる議論へと発展。

それまで賄賂を掴ませていた役人達も知らないふりを決め込み、

次第に面倒な立場へと追い込まれていく。


一方、ニッキーは次々とトラブルを起こし、カジノのブラックリストに登録され、

ベガスから追放されてしまう。

キレたニッキーは宝石店やレストランの経営を始める一方、

賄賂で関係者を抱き込み、ベガスで仲間と金庫破りを繰り返し、

やがてFBIにべったりとマークされるようになる。


さらに、サムとの愚痴を相談するうちに、

ジンジャーとニッキーは関係を持ってしまうが、

これは「商売に響くから仲間の女房を寝取るな」というマフィアの”掟”

に背く行為であり、大変な危険をはらんでいた。

その事をよく知っているサムは、妻とニッキーの関係を知った後も、

そのことを大っぴらにせず黙っていた。


しかしサムとの夫婦関係ももはや壊滅的となり、

ニッキーにも35年付き合っているサムの方が大事だと捨てられ、

ジンジャーは支えを失って暴走。

銀行からサムと連名の預金、約2億円を引き出して逃亡する。


その頃、FBIの捜査が進展し、立場が危うくなってきたマフィアのボスは、

秘密を知る関係者の「一掃」を開始。

携わった者達は次々に殺され、秘密を知る者はいなくなっていく。


そして、逃亡したジンジャーは結局、薬物中毒で死亡。

サムは冒頭のシーンに辿り着き、車を爆破されるが、

何とか脱出に成功し、自らが信じなかったツキによって生き延びる。

当然、ニッキーも関係者の一掃に該当し、

トウモロコシ畑でバットで殴り殺され、弟とともに生き埋めにされ、

悲壮な死を遂げる。


ラスト、華やかなベガスを離れてサンディエゴに移り、

相変わらずボスを儲けさせる生活を続けるサム。

その後時代は変わり、

古きよき時代のベガスも今やアミューズメントパークになってしまったが、

彼の賭けの才能は、いまだに健在であった・・・


ギャンブルの才能に恵まれ、何もかも順調に進んでいたサムだったが、

愛した妻、古くからの友達、天職であったカジノ経営者の立場、

結局はすべてを失ってしまう。


ツキを信じず、あらゆる物事を慎重に、理論的に判断するサムには、

人間という存在が持つ「不確定要素」が理解できない。

そのため、ギャンブルにしても妻との関係に於いても、

徹底的に「監視」に頼ってしまう。


信頼が大事だと言いながら、自らは妻の金の使い道を確認し、

食事の相手を確認し、居所を確認するためのポケベルを持たせ、

愛情や信頼さえもいちいち確認しないと安心できない。

結果、妻との愛はとうとう育たなかったと言ってもいい。

もう少し、人間的な優しさがあってもよかったのかもしれない。


また、カジノ経営においても、

役人の甥が無能で使えないうえに、カジノに損失をもたらすからと、

クビにしてしまう。

極めて理論的で正しい決断ではあるが、

トップに立つ者としては、別な判断もあったのではないかとも思う。


ただ、裏社会の人々の栄枯盛衰を余すところなく描き切る、

刹那的なマーティン・スコセッシの作品に、

そんな「もし・・・」は不要なのかもしれない。


「人間とはこういうものなんだ」と教えられるような、

骨太な作品であった。


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