素因数分解の一意性定理が自明に思ってしまうのは何故か -2ページ目
体調があまり芳しくなかったので、久し振りの投稿になります。
それもこのブログ史上最も高尚な題名での投稿になります。
まあ内容はこのブログ史上最もしょーもないのですが。
大学というのはとても自由な所で、学年の枠を超えて好きな授業を履修することが出来ます(少なくとも京大はそうです)。
僕は世間知らずかつ身の程知らずなので、三年生を対象とした幾何学演義という授業を取ることにしました。
この授業は、事前に生徒に問題が配られ、その中で解いた問題を前で解説するという形式で行われます。
肝心の単位ですが、前期15回程度の授業の中で原則2問解説すると4単位が転がりこんできます。

おやっ?これは楽単だ!
だって2問解くだけで4単位くるんですよ(京大理学部の卒業要件は128単位)。
1問あたり2単位!
こんな授業、単位が空から降ってくると言われている京大でも聞いたことがありません!
一回生前期で専門の4単位確定させた俺マジでネ申w
そんなわけはない。

勿論出題される問題は先生方が練りあげて作った問題なので、かなりの難問です。
さらに、仮に問題が解けたとしてもそれは自分が解けたと感じているだけで、実際に解けたと言うことは出来ません。
「解けた」というのはその問題に関するどんな質問が飛んできても、質問者が納得できるように解答できるということです。
ちょっとでも穴のある状態で解説に望むと質問の嵐に遭い、大変なことになります。
もっと言えば、人前で緊張している中、わかりやすい解説をすることが求められます。
そうなると答えを書いたノートをじっくりみながら解説する余裕はありません。

実際に今日初回の授業を受けてその大変さを実感することが出来ました。
簡単めの問題を一問解説したのですが、自分ではわかっているつもりでも、手が動かない、口が動かない、人に伝わらない、という現象が多発しました。
なんとか先生の助けもあり、解説は終了しましたが、問題を解くということがいかに難しいかということを強く実感しました。

みなさんも解いた問題を人に解説するということをやってみては如何でしょうか?
そうすれば問題一問一問を確実に自分のものとして吸収することができ、ものすごく力がつくと思います。