カゲプロについて | 墜落症候群

墜落症候群

墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

 いささか懐古厨的な話題になるかもしれないが、久しぶりにカゲプロについて考えた。

 きっかけとしては、俺は普段はほとんどシャワーを浴びるだけなのだけれど、少し前に温泉に一人旅をしてから、入浴剤を買ってゆっくりと湯船に浸かるというのをたまにやっていて、今回はその時にたまたま音楽をかけていたのだ。

 音楽をじっくり聞くという機会も最近はあまりなく、たまにはアルバムをまるごと聞くのもいいかと思い、カゲプロのアルバム3枚を聞いてみることにした。

 そして、以前からカゲプロの成功と失敗について書きたいと思っていたこともあり、簡単に記事にしようと思った。

 完全に昔とった杵柄という感じでしかないのだけれど、現在は廃墟となっているこのブログは、元々はカゲプロの考察についてもよく取り上げていて、その時はアクセスカウンターが100万回くらいに達するくらいにはよく閲覧されていた。

 そんなカゲプロ考察ブログを運営していた者として、あくまで簡単にではあるが、アルバムを聞きつつ振り返ったカゲプロの成功と失敗について語ってみたいと思う。



 まあじんさんのカゲプロのアルバムの1番目には同人盤があったのだけれど、現在配信サイトで聞くことができる1枚目という意味で、メカクシティデイズを聞きながら思ったこと。

 まずカゲプロの成功したのは、



・カゲロウデイズがやっぱりめちゃくちゃパンチが強い。



 ことが挙げられるだろうが、しかし、ムーブメントに至ったのは、



・作品ファンであることを示すメカクシ団=パーカーという記号が使いやすく、流行ったこと。



 これが一番だろう。俺もカゲプロのファン人気に乗る形で、考察ブログを中心に色々と若者と交流を図り、今考えると痛々しいけれど、青春ごっこを楽しんでいたように思う。



 そして、あくまでカゲプロというコンテンツは成功した。大成功としたと言っていいと思う。ボカロPから自分が歌うようになり有名になったのは米津さんを始めとして数多くいるけれども、ボカロ曲があるコンテンツに成長し、ノベライズ、コミカライズ、アニメ化とメディアミックスへと発展した例で最も成功したのはカゲプロだろう。マネタイズもかなりうまくいったと言える。アニメDVDも小説もかなり売れた部類だろう。

 にも関わらず、どうしてカゲプロに失敗という文字がちらついてしまうかと言えば、端的に言えばもっとうまくいくと思われていたからじゃないだろうか。

 作品の面白さとして考えると、まあしょうがないことではあるのだけれど、どうしても楽曲時点がピークで、小説も頑張っていたのだけれど楽曲を越える良さがあるとは言えず、アニメ化はシャフトが手抜きをしたのもあるけれど、単純に脚本が良くない。

 しかし、今でも俺はカゲプロには物語としての面白い要素はきちんと詰め込まれていたと思う。特にアニメ化の時にそれがうまくいかなかったのはどうしてだろう。



 俺はカゲプロファンの中でも、多分初期には多かった考察をして楽しんでいたファンだ。

 どのように楽しんでいたかと言うと、カゲプロの楽曲は一つ一つが物語を作っているのだけれど、それぞれが一つの世界観の中で繋がりを持っていた。それがどのように繋がるのか、どのような時系列なのか。あるいは歌詞はどんな意味があるのか、PVにはどんな意味があるのか。ある意味では深読みを楽しんでいたわけだ。

 そんな中、もしこうなったら面白いという妄想はかなりしていたわけで、そんな自分がカゲプロのメディアミックスの時に一番面白さとして損なわれたと思ったのが、



・ヘッドフォンアクターの時に魅力的な敵役として登場した白衣の科学者を、うまく物語に取り込めなかった



 ということだった。

 ヘッドフォンアクターにおいて、実験体がいる街を丸々一つ作っておきながら、それを簡単に爆弾で破壊してしまうような、あるいは電脳空間の中でAIの完成を目指し、成功例以外は完全に捨て去ってしまうような、そんな魅力的な敵役だった白衣の科学者の設定は、小説やアニメにはうまく生かされていない。

 特にアニメでは悪役の組織が色々とゴチャゴチャしていて、まったく整理されていない。

 物語というのは大体問題を解決することで進む。ダークな要素のある異能力バトルという見方もできるカゲプロにおいて、敵が強大な組織であり、それをなんとか突破していくというプロットにできなかったのは(あくまで俺から見てだが)致命的だった。

 最終的な敵がメドゥーサに集約され、物語が個人的な小さなものにまとまってしまい、例えばメドゥーサなど異能を研究する科学者の組織というような、対立する大きな悪役を打ち出すことができなかった。これが俺がカゲプロの面白さが減じてしまったと考える理由だ。

 また、考察勢としてはまだ設定が固まっていなかった時点で出されたメカクシコードなどの楽曲がどのように物語に当てはめられるか、それが楽しみだったのだが(初期の楽曲だからこそ、歌詞に色々解釈の余地があった)、そこはあまり活かさずにただ過去の出来事として流されてしまった気がして残念だった。



 そんな感じで、考察を上回るような面白い物語というアテは段々外れてしまい、どちらかというとキャラクターコンテンツとしての側面が強調されていくように感じたカゲプロだったが、2枚目のメカクシティレコーズにおける、ロスタイムメモリーはやはり白眉の出来だと感じる。この楽曲の良さは、



・ループモノとしての作品の構成を活かし、過去を受け入れ先に進もうとする主人公と、過去に縛られ進めない主人公を二重に描写していること。

・PVに第一曲目の人造エネミーの要素をうまく取り入れていること。



 にあると思う。



 そんな感じで今聞き返しても、楽曲のクオリティーの高さを確かに感じながらも、ヘッドフォンアクターの物語のよさを感じると、どうしてもっと活かせなかったのだろうと苦々しく思ってしまう部分もある。

 それでもカゲプロは俺にとって、かなり入れ込んだコンテンツであるということに変わりはない。だからこそ、色々思い入れて、ただ単純に楽しんでいたファンよりも余計なことを考えてしまうんだろう。

 そんな風に思った。