響~小説家になる方法~(1)  柳本光晴  感想 『つまらない方の創作モノ』 | 墜落症候群

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墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

 媒体が違うが、俺が面白かった創作モノとして思い浮かぶのは、アニメ業界を題材にした『SHIROBAKO』や声優業界を題材にした『それが声優!』等である。これらは現場の人間が製作や物語を作ることに関わっていて、リアリティがありながらもその業界で頑張るという現実を上手く物語として提示していた。
 響はそもそも『俺tueeeeマンガ』なので、上に挙げた例とは気色が違うというのは十分承知の上で、それでもこの作品はつまらない方の創作モノ、という評価になってしまうと思った。
 まず作者が業界の感覚をあまりにも知らなすぎるのではないか、と思ってしまう。
 今の時代に『太宰治の再来を思わせる天才』というフレーズもどうかとは思うのだが、そもそも太宰治は単純に『天才』だったのか。太宰治がメロスを書いた経緯等、情けない感じも含めた意味で人間味ある所等も知っていると、俺は作家として受けるというのは単純に奇行に走り、人とは違う世界観を有しているということではないと思うのだ。むしろその情けなかったり、味があったりする個性を、どれだけ人間に共感できる形で表現できるか、というのがポイントなのではないか。
 そして、純文とは違う世界かもしれないが、ライトノベル等で数百~一千万部くらい売り上げるある種の天才が、どれくらいの速筆っぷりで読者を楽しませる作品を提供し続けてきたか、その才能を出し惜しみすることなく開拓してきたかも作家志望なので多少は知っているつもりだ。そういう意味では特異な作品を書いただけでそれが天才ということになる、という見方は時代性を大きく外している。面白い作品もつまらない作品も書き続け、読者の目を惹き続ける。それが今の時代に天才と呼ばれる作者がいるとするならそれが定義となるだろう。
 今の時代、一線を行くには膨大な時間をその分野に捧げ続けなければいけない。これは日本で一番売れている漫画家である尾田栄一郎の生活スタイル等を知っていれば明らかだと思う。そもそも創作系の分野の物語で才能の突出した誰かが、才能のない誰かを踏みつけにしていくようなストーリー展開はあまり読んでいて心地良くないし、加えて『作家という人生』と『結婚して子供を産んで……という普通の人生』というのが対比して語られているのが古い気がする。そもそも今は売れない作家は兼業が当たり前だ。小説家になろうとしている人間で、小説家では食っていけないことを知らない人間はいない。それが今の時代売れないとされている純文学なら尚更で、それでも専業を貫くという人は残念ながら現実が見えていない。作家であることに固執する人間なら作家を続けられる生活スタイルをまず模索するのは当然だ。
 小説家になる方法と銘打っておきながら、小説家も含めて創作に興味がある人間には面白みが感じられない内容だと思う。リアリティもないし、時代も捉えられていないし、天才の定義も身勝手だし、何一つ共感できる要素がないからだ。
 それでは『俺tueeeeマンガ』として秀でているか、ある種これも架空の話だと突き放して楽しめるかと言えばそれもない。展開が遅過ぎるのである。もっとこう、一人の天才が社会を変革していくようなダイナミズムを見れるのかと思ったのだが、それすらない。
 そうなるとこの作品には見るべきところは一つもない、ということに残念ながらなってしまうだろう。
 マンガ大賞の過去のラインナップを見てみると、それなりに有名所や面白い作品が選ばれてきたという印象だが、今回は俺にとっては当たりではなかった。

 

響~小説家になる方法~(1) (ビッグコミックス)