プラチナエンド 1 小畑 健 デスノートペアの新機軸足り得るのか | 墜落症候群

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墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

プラチナエンド 1 (ジャンプコミックス)
小畑 健著
エディション: コミック
価格: ¥ 486

36 人中、22人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0 何で得意のスタイルを捨てたんだ。, 2016/2/14

レビュー対象商品: プラチナエンド 1 (ジャンプコミックス) (コミック)
 プラチナエンド。ジャンプスクエアで追っかけているけれど、面白い作品を描けるコンビであるだけに、なんか勿体ない感じがした。
 十三人で争い、勝利者が神となる、という設定は、俺がかなり好きだったマンガ『未来日記』を思い出させる。
 正直、キャラ立ちは『未来日記』の方が上だと思った。
 十三人もキャラを出す場合、一人一人のアクをかなり強くしないと印象に残りづらい。勿論、色々な情報格差は必要だろうけれど、ある程度、力関係は対等のように(誰が勝ってもおかしくないと)見せる必要があると思う。
 プラチナエンドはまず、主人公のキャラ立ちが薄い。ヒロインもかなり地味。敵も取り合えず一人手強そうなのが登場したけれど、『どうやって勝てばいいのかわからない圧倒的な強敵』というワケじゃない。主人公の自殺志願的な冒頭は、確かに今の苦しい時代から考えると共感は得られるのかもしれないが、そもそも大場つぐみさんって共感させる作風じゃねーよな、というのが前提としてある。
 例えば、デスノートで、『キラに感情移入しました!』『Lはまるで自分みたい!』って思った人って相当のナルシストじゃねーのか、と思っちゃうし。アレはなんか特異な天才、凄まじい才能を第三者視点で「すげーっ」って眺めるマンガでしょう。
 そういうマンガにするには、主要キャラは絞った方がよくて、しかもその絞ったキャラは存分に立たせる必要がある。デスノートとかバクマン作中作のリバーシってマンガとかは『一筋縄ではいかない、悪VS正義』というのが貫かれていたと思う。どっちかっていうと悪役の方が主人公っぽいのが大場つぐみの作風の特徴。バクマンも天才新妻エイジという王道に、亜城木夢叶という二人タッグが邪道で挑むみたいな話だったし。
 早めにその『悪VS正義』の軸を成り立たせて欲しいような気がする。今のままでは中途半端。現時点で、企画としては原作者の持ち味を活かしきれていない感じはある。
 とはいえ、原作力と作画力は確かだし、スクエアは月刊誌だからエロとか邪なのとかは存分に描けるよね……というのはある。十分先が気になる作品だけれど、作者が作者だけにもっと何とかならんかったのか、と。栄枯盛衰じゃないけれど、やっぱりパワーダウンは否めない感じはある。とまれ、これからの展開に期待したい。

 蛇足的な追補:『群像劇』

 上記本文では企画そのもののリスクを挙げてみたわけだけれど、プラチナエンドという作品はもう走り出してしまったわけで、これから主人公やヒロインの素地が大きく変わることはありえないだろう。プロットレベルで、『悪VS正義』の軸を用意することが難しい作品の流れに、もう既になってしまっている。そして、このコンビなら打ち切られることはありえず、最後まで描ききるだろう。違う視点からこのプラチナエンドを見る必要がある。
 本文では大場つぐみさんの『悪VS正義』という作品の大きな主軸となってきた要素について触れた。しかし同時に大場つぐみさんは、これまで一貫して群像劇を描いてきたとも言える。デスノートにおいても、矮小な犯罪者の描写や、金の亡者のような小物の描写、ヨツバキラ等(それが大きな好評を博してきたかは置いておいて)、主人公とライバルであるキラとL以外の要素も巻き込んで、作品の世界観が描かれていた。
 バクマンでは更に、群像劇的な要素が強まり、最終巻では『主人公とヒロインのことだけではなく、他の漫画家達のことも掘り下げて終わって欲しかった』という声が聞かれるほどだった。主人公以外のキャラクターでは、誰もが富と名声を掴める訳でもなく、期待の新人であったものの憧れの人への嫉妬から壊れていった漫画家、プロのアシスタントではあったものの、どんどん腐っていく人物等も容赦なく描かれる。
 どこか矮小な人間、頭でっかちで戦略に溺れる人間、周囲を見下す高飛車な人間、自分の価値観を他者に押し付ける人間、そういった人物像を大場つぐみさんは描くことが多く、それらの人物は『悪VS正義』という主軸が確立している中ではアクセントとして機能していたと言える。
 プラチナエンドの群像劇っぷりは、デスノート、バクマンどころではない。主人公、ヒロインを地味めに設定したのは感情移入を促すつもりもあるのだろうが、これまでに登場したキャラは敵となり得るキャラも含め、味付けが濃い人物があまりいないような気がする。
 もしかしたらだが、これまでの作品と比してキャラを薄めに設定し、多人数制のバトルロワイヤルというこれまでとは違う心理戦こそを強調して描きたいという意図があるのだろうか。
 本文では『未来日記』の例を出してしまったが、大場つぐみさんと小畑健さんのコンビが『未来日記』みたいな作品を描いても仕方がない訳だから、そこは既存作品とは差別化を図り、キャラ押しではなくより純粋な心理戦、情報戦、頭脳戦こそを描いていくのかもしれない。
 そうなってくるとやはり、主人公の頭脳が一般人に近いのがまた気になってしまうわけだが……しかし、デスノート、そしてバクマンで培った『群像劇』のノウハウが、物語の主軸たる強い主張を持つキャラ抜きで、より純粋に多層的で複雑な展開の面白さを中心に描かれていった時、それは『悪VS正義』を面白さで越えられるかはともかく、大場つぐみさんと小畑健さんのコンビの新たな作品の境地と言えるものになっていく可能性もあるだろう。そこに期待する。





プラチナエンド 1 (ジャンプコミックス)