由さんとの対話 覚悟のいる生き方とか
コメント無題by由
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08月09日 20:57
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いつか行きますw感想は自然とかの話ばっかりになる気が。
アルスラーン戦記は読み始めた時に、一巻発売が自分の生まれるはるか前だと気付いて呆然としましたねええ。古いと思ったら……(図書館で借りてた)。それとは別に、増版の勢いが凄まじすぎることにも驚きましたね。どんだけ売れたんだ……。
採集生活というと縄文時代が浮かぶ私です。どんぐり拾いは楽しいですよね。(←違う)
この社会に一部すら馴染んでいなかったら、今この瞬間も生きられないのでは……?
自分は自分、他人は他人だと思いますけど、他人に興味を持たないのもそれはそれでどうかと思う今日この頃であります。私の話ですけど。
自然の話かあ……。
「初めて沖縄に行った日に見た夕焼けがすっごく綺麗で……今も心に残ってるんです!」
的な。
自然の話って、話し言葉ならともかく、書き言葉だと平坦な印象になっちゃう気がするんだけれどどうなんだろう。表現力次第?
アルスラーン戦記の人はかなりなんだ……古参な人なんだよねw
今はあんまり書いていないのかもしれないけれど、重鎮という感じがします。
そうだねw 縄文時代レベルかもしれない。
弱肉強食ではないけれど、本来自然に許されるレベルでの人間の生存数ってそんなに多くはないのかもねw
もちろん、それを跳ね除けるために、人間は科学技術を発展させてきたのかもしれないけれど、しかし人間って増え過ぎちゃったんじゃないかなあ……みたいな意見は聞くところはある。
人口がこの勢いで増え続けるのはいいことなんだろうか?
例えば、人口を減らす方策として、『子供を産まないように』という方向性を徹底させるのと、今の人を殺戮するというのでは、どう違うのだろうか?
もしかしたらいたかもしれない子供という可能性を奪っている時点で、人類数削減の方向性は、遠隔的な殺人と言えなくもないのではないか?
そもそも人類は増えた方がいいのか、減った方がいいのか?
その増減を、ただ人類の視点だけで良し悪しを判断できるか?
なんか疑問符ばかりである。
なんかこう自分の意志がどうでもよくなっちゃったっていうか、うまく自分の意見を持てなくなってしまっているんだよな。
ただただ試行錯誤をくり返す思考。
『社会の一部にすら馴染んでいなかったら、今この瞬間も生きられないのでは……?』
という文章には返信したような気がしたんだけれど、気のせいだったのかなw
人間の生死には社会って基本的に関係ないんじゃない?
関係ないは言い過ぎにしても、勿論色々な権利を得ているにしても、『社会には属してはいないけれど生きている人』だっているんだろうし、由さんの言い方はちょっと極論過ぎる気はするよなあ。
例えば、捨て子で名前も戸籍も持ってなかったら、その子は生きていないのと同じことなのかい?
まあ、由さんもその場のノリというか勢いで書いただけで、別にここまで突っ込んで言われたくはないだろうけどさw
他人に興味を持たない……うーん。
本質的に変えることのできるのは自分の人生だけなんじゃないか、っていうのは思う。
他人の人生に大きく食い込む……影響力を与え過ぎるのは違うんじゃないかって思いはある。
だから、ファン的な心理が強過ぎる人や、信者のように心を預け過ぎちゃってる人は、どうかな~って思っちゃうね(笑)
人間の価値って、そんなに差異があるのかなあ。
別に他人と比較してちっぽけであったとしても、そのちっぽけな自分としてただ生きていけばいいじゃないか。
ちっぽけであるからこそ得られる悲哀とか感慨とか経験とかもあるかもしれないじゃないか、とか思う。
人間は一人では生きていけないものだろうか。
生きているだけでどうしても人に影響を与え、人から影響を受ける……。
それはどこまで許容されるべきなんだろうか?
影響を与え合うことは、むしろ積極的に行うべきなんだろうか?
お節介とか過干渉とか、ウザったいと思ってしまう部分もあるけれど、むしろそういうのが有り難いことなんだろうかねw
そう、こんなことを色々と問いかけがちになってしまう昨今なのでしたとさw