世界モデル | 墜落症候群

墜落症候群

墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

この生に感謝を / 発言者:hatsuharachaos
2015-01-13 (Tue) 09:10 /発言者:hatsuharachaos
高麗恵子 WEB サロン
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 俺が怒ることではないのでしょう。
 それは重々承知しているのですが、いだき受講生は先生にロクな質問をしませんね。
 もちろん、これは俺を含めてということです。
 前回参加した応用コースでもヘンな質問をしている人が多かったです。
 今回も某誕生日遅刻した青年Aを含め、ヘンな質問をしている人しかいないのです。
 つまりこれは傍若無人な身勝手な怒りなのですが、それでもムカムカします。
 最近の応用コースは質問に答えるスタイルで進行していますよね?
 それは質問の質でいだきしん先生ができる話が変わってきてしまうということです。
 いだきにももっと素晴らしい活動や、陰謀論に踊らされるようなことなく、学びを深めている人だっているはずです。
 そういう人はなぜ質問をしないのでしょうか。
 内面の世界では一つになっているからいいのでしょうか?
 内面では一つになっているからいくらヘンな質問をしても許され、いい質問を用意しないことがまかり通っていいというのでしょうか?
 くり返しますが、時間は有限なのです。
 目に見えない世界では無限かもしれませんが、それは目に見える世界の時間をムダ遣いしていいということを意味しません。
 この傍若無人な書き込みを目にして、俺に対して怒りが湧いてきますか? お前にそんなこと言われる筋合いはない、と。もう次の講座からはいい質問しかなく、かつたくさんの手が上がるのでしょうか?
 まあいいや……怒りは終わりです。
 というか、先生の面談がいっぱいなのですから、対話の機会はチャンスじゃないですか……青年Aのようなバカな質問をしない限りは、ちゃんとした質問であれば、皆で先生の回答を共有できるのです。
 ノブリス・オブリージュではないですが、いだき受講生には『いだき受講生である』という責任だってあるのかもしれませんよ? なんちゃって。

 さてと。
 というわけで、昨日は質問させていただきました。
 噛み噛みでくり返しが多く、聞きづらい時間が多く、申し訳ありませんでした。
 個人的には今までにない意味を持つ応用コースになりました。
 やはり口頭でのコミュニケーションはニガテだ……。
 とにかく四つほど先生に『聞きたいこと』を投げて、それで後は自由にお話いただこうと考えていたのですが、甘かったわけです。
 ちなみに甘い俺ではありますが、本名の苗字は別に甘味料の『甘』という字ではありませんよ(笑)
 くだらない冗談はともかく、有意義な時間を過ごすことができました。
 あの時に俺が得た感覚というのは、非言語的なものなので、言葉に置き換えるのは難しく、だから言葉にする必要のないものなのかもしれませんが……。

 四つの質問の中では、俺のトークスキル及び、言葉の選定の甘さにより、なかなか本題にまで辿り着かないものもありました。
 一つ目。理論の実践。頭ばかり、口先ばかりの男が、これを行動に結びつける(仕事にする)にはどうしたらよいか? これはそもそも頭ばかり、口先ばかりでは行動にはつながらない(少なくともつながりにくい)と理解しました。
 二つ目。世界の構造を物語にすることについて。先生は哲学の世界構造についてお話されました。俺には欠けていたことだったので勉強しようと感じました。
 俺が言おうとしていたのは、どちらかというと創世記や神話などに寄っていたもので、『まず世界の構造があり、そこに住む生命はどうしても世界の影響を受けざるを得ない』という問題提起でした。
 物語の場合、もちろんフィクションで虚構なワケですが、『』内の内容については、もちろん俺たちが住む世界についても適用されます。
 なんだかんだで四つの質問は俺の中では繋がっていたのです。
  三つ目。少子について。俺は考えていました。若い頃に子供を産む女性は英雄のようなものだ、と。今の誤った社会的常識においては、洗脳的義務教育の方がもちろん子育てよりも優先されてしまうわけですが、それはいいことだとは思いません。かといって縄文時代に一瞬で社会全体をバックできるはずもないでしょうね。
 今の子はいくら世間が蔑視しようが、周囲といい関係を築き、子供を産んでしまうケースもあるようで、これはいいことですね。
 フランスのことが気になっていたので、先生が結婚制度について話してくださったのはよかったです。学んでみようと感じます。
 それにしても質問には突き抜けたヘンな質問もあり、面白くて笑ってしまったのですが、三十歳で結婚について悩んでいるという質問には驚愕しました。
 女性で三十歳にもなって、何人子供を産むかとか、ライフプランを立ててないことがありえるのでしょうか? 出産適齢期などについて考えないということが?
 それによって人生計画が大きく変化してしまうというのに? 愕然です。驚愕です。今の日本ではあれが一般的なのでしょうか?
 男で24才なのにそういうことばかり考えている俺はそれじゃあどうしたらいいのでしょうか(笑)
 24才でそういうことを考えているとはね、と先生にも言われましたが、いや、それを考えないで何を考えるのか、俺にはよくわかりません。
 間違いなく人生最重要事の一つです。
 また結婚の話が大きなテーマとなりましたが、俺は今の社会制度で結婚するつもりはないし、相手がいない(笑)
 いや笑いごとではないし、俺に男性的魅力がないのも事実なんですが、三十歳で結婚するかどうか悩んでいる女性もどうなのでしょうか。いや、さすがにあれを一般的なケースと信じたくないのですが……どうなんですか女性陣! と、もしここがジェンダーの講座だったら聞いてみたいところですね(笑)
 自分の計画や心は、相手の有無に関わらず決めておくべきではないでしょうかねー。
 ついつい口が回ってしまいました……・。
 四つ目、陰謀論について。陰謀論という言葉が抽象的だったかもしれません。医療殺戮にテーマを絞ればよかったかな。ユースタス・マリンズの『医療殺戮』をちょうど読み、「俺は絶対に医者にはかからないぞ」と決意を新たにしたところだったので、「病院に行って診断を受けろ」という先生に疑問を呈したかった。
 もう広く知られていますが、病院で検査する際には福島原発の放射能漏れよりも強い放射線でスキャンします。ガンにおいては切除・放射線・抗がん剤ですべて転移が広がるという結果が既に出ていますので、よろしければ『医療殺戮』で勉強してください。

 作品テーマについて。
 一貫した作品テーマを持つこと……司馬遼太郎だったら歴史小説、というアプローチは、今の俺だったら取りません。
 なぜかというと、『読者の期待を外す』というか『読者の期待を裏切る』というのが、今の流行だからです。
「こう来るかと思っていたが、実はこうだった!」
 みたいな。
 もちろん、根底に流れるものは同じ人が書いているのだから共通しているのでしょうが、できうる限り色々なテーマで書いてみたいです。
 まあ、現時点で『作品ごとにライターが違うんじゃないの?』という作家になりそうで怖いのですが……。
 一貫性のないことが一貫性、などと言うと、母は「開き直って」と言うだろうし、先生は「矛盾している」と言うでしょう。
 ただ、俺は世界の本性は矛盾と混沌だと考えています。
 矛盾を内包し、生きるのが人間なのです。
 俺は頭で考えているだけで、見えるわけではないので、別に間違っていてもいいのですが、世界の源は一面の光というのは俺にはよくわからないんですよね……突っ込みどころが二つほどあって、じゃあなぜ今の世界には闇が存在しているのか、なぜその調和状態が解けてしまったのか、説明がつきません。また、始まりの状態を『最高』としてしまうと、その後は衰退するだけになってしまいます。「昔はよかった……」という老人のぼやきに似ていますが、実際には変化があるだけで「昔がよかった」だけではないはずです。混沌のエネルギーが秩序によって統制されていく流れがあるだけではないでしょうか。
 ちなみに俺は世界の源は混沌だと考えています。光であり闇であり正義であり悪であり平和であり戦争であり……と『AでありB』が延々と続く世界です。
 すべてがあるし、なにもない。
 混沌でしかないのですが、秩序立っているということもいえるでしょう。
 世界の目的というものが仮にあるとすれば『色々あること』ではないでしょうか。
 つまり、『パターンの記憶』です。
 これは『宇宙の生まれる三段階前』ということが明らかにされてからずっと考えていました。
 これで、俺が受講生の表現の高麗さんモノマネパターン化がなぜいけないかと言うのか、多分わかりましたよね?
 わからない人のために親切に説明してあげますが……(どうぞムカついてください)。
 俺は今の世界の問題って、結局、権力とか金の集中、画一化だと思うんですよね。
 皆同じような服を着て、皆同じようなことを喋り、皆同じようなことをしているのは、世界の目的に反します。
 なぜ世界の目的に反するのがいけないのかというと、「それではエネルギーが弱い」からだし、人間として見ると「それでは元気が出ない」からです。
 俺は世界平和のために活動しているいだきという集団にも表現の画一化が見られるのがずっと不思議でした。口を開けば「先生、先生」「高麗さん、高麗さん」では、やっぱり大きなものに縋らずには生きていけない新興宗教のように世間的には見なされても仕方ないでしょう。
 世界平和というものがもし仮に実現するとしたら、それは『志を全員が同じくしつつも、そのアプローチは全員違う』という在り方がもっとも力が強いはずです。
 先生、高麗さんが素晴らしいのは言わずとも当然のことでしょう?
 そこに通っている僕も私も俺もあたしも、素晴らしいよ、とそこが自己表現なのではないですか?
 もういい加減、「先生が素晴らしい」というのはやめてくれ。聞き飽きてしまった。あなたは誰なんだ? 母親はどうしたら変わるんだ?
 ……ふう。

 いい加減先生に依存し、崇拝するように生きるのは終わりにしましょう。
 共に生きるというのはそういうことではないのではないですか? というようなことを俺のような若輩に言われる現状を、どうか嫌悪してください。

 最後にただただ感謝を捧げます。
 昨日、やっとわかったんですよ。24才になってようやく。
 俺は我が強かった。今でもそうでしょうね(笑)
 だから、自意識過剰で、母親の影響力が強く(今もマザコンですが)、いだきという父親代わりのような大きな存在に、全知全能の万能の神に対するような崇拝を抱いてしまっていた。
 いだき二世と呼ばれる、親がいだきに行っていたから子供も行きます、というパターンの場合、いだきというのは当たり前の空気のようにあるものです。
 特に俺は、子供の頃からの友人が本気で片手で足りる生きづらさで、破滅願望が強く、吹けば飛ぶような精神状態の中、『中学校では居場所がないけれど、でも俺にはいだきという特別な場所があるじゃないか』と、いだきを現実逃避の場所にしてきました。
 アンドロメダ・エチオピア・コーヒーを売るんだ、とか、東大に行って宇宙物理学を研究するんだ、とか大きな夢を抱いても、それを実際に達成可能な目的にするための努力や方法の模索を俺はサボり続けました。
 去年の6月から、俺はこれまでの一貫性のない人生を『このままじゃダメだろ』と感じ、小説の賞に出すための長編小説を書き始めました。
 今は二作品完成し、三作品目を書いています。
 俺は一時期、どういう精神的作用なのか、影響力を排除したかったのか、気がおかしくなりました。
 どうも、いだきや母親からの強い影響を一度排除し、自分一人だけになりたかったのだと感じます。
 それをしないと俺の人生は始まらないのだ、と。
 しかし、このアプローチは完全に間違っており、いだき関係者各位、家族にも大きな迷惑をかけました。本当に申し訳ありませんでした。
 でも、必要なプロセスだったんだと感じています。
 間違いを犯さなければ、道を見つけられないのは愚かですが……愚かな人間は愚かな人間なりの道があるのかもしれません。
 俺は一時期の精神異常の経緯から、やはりいだきからの影響力を怖れ、あまり講座やコンサートには参加しなくなりました。
 一人でいたかったのです。
 長編小説は書き上がったものの、あまりにも頭だけの計画だったために、疲労が意識しないままに溜まりました。
 コンビニでもミスが増え、悪い状態は同僚や上司の怒りを呼びます。
 また放射線の影響もあるのか、甲状腺に異常を感じました。今ではなんともないですよ。ただこれは関東に住んでいる限り、一生向き合っていかないといけない問題ですが。
 俺は一人で頑張るだけでは限界があると、外に目を向け始めました。
 インターネット上の関わりを増やし、外に出、電車に乗り、母親の知人の男性に会い(勢いでコンビニに辞表を出し(笑))、いだきのイベントや講座にも徐々に参加するようになりました。
 1月10日に遅刻したのは申し訳なかったですが、11日に高句麗伝説と志コンサートに参加し、12日に応用コースで質問させていただいた流れで、俺はひとつの大きな変化を感じています。
「君を受け入れて生きてきてる。ちゃんとわからないとダメだよ」
 そう言われた時に、俺は無心になり、ただ身体の内面を感じると、そこにはただ涙がこみ上げそうになる純粋な感動と、ただただ喜びがありました。
 ここは無限に広く、すべてを受容する。
 そうなると、実は細かい知識の正誤とか、すべてはどうでもよかった(笑)
 そういうことではなく、何を中心に生きるかということ。
 俺はもういだきで生きるということを、ちゃんと身体の内面で経験しているし、そう生きることができる。
 頭が邪魔していただけなんだ。
 そこにあるのは、『自分の好きなことを全力でやればいい』ということだけだった。
 限りなくシンプルだった。
 そこまでいってしまうと、もう誰かを悪とみなし叩く必要すらなかった。
 自分がもっとも求めることを、空間と繋がって、行っていくことはそれだけで世界を明るく照らす。
 そういう人が一人でも多く増え、全体に波及し、目に見えない世界を変えていった時……もうその時、世界は平和になっている。
 それが新しい、喜びに満ちた人類のスタンダードになっているからです。

 得がたい学びでした。
 この生に感謝を。