姉にも言えない。第二稿。物語。 | 墜落症候群

墜落症候群

墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

 物語。

 《魂喰らい》は、彼の戦いの結末として、僕に僕の魂の欠片を投げてよこした。しかし、それをどう使うかは――そこからは僕の戦いの領域になる。
 僕は実際に戦闘をすることなしに、姉さんの心をちゃんと折ってやらなくちゃいけない――それをするためには、全てを効果的に利用するしかない。
 《魂喰らい》の命懸けの成果を、あえて棄却することで最大限に効果を高める――それが僕の戦略だ。
「姉さん。姉さんはきっと、僕がこれを使って、昔を思い出すことを怖れたんだろうね。でもさ、こんなことを使うまでもなく、僕は思い出したよ」
 吊り橋効果とでも言うのだろうか、《魂喰らい》と姉さんとの極限状態の戦闘を、三矢火姿の誰かと一緒にただ見るだけしかできなかった時に。
 僕は逆転の発想を得た。
 あまりに、しっくり来過ぎたのだ。この女の子が、ただのマインドストーカー的な、僕に恐怖を与える存在ではなく、生命の危機を感じるシチュエーションの中でも、むしろ一緒にいて欲しい存在だと、気付いた。
 その手のひらをギュッと握り――そして、その感触に、以前触れたことを直感的に思い出した。
 そして、そこから連鎖的にすべてが引っ繰り返っていった――ずっと一緒にいてくれた彼女、僕の心すら自由自在に覗き込める彼女、いつから一緒にいるのか、それすらもわからない――それって、ストーカーとかそういうのじゃなくって、一心同体っていうんじゃないか? そして、幼少の頃、姉さんが僕の最も大事な一部を奪ったという事実――それにはある存在が宿っていたのでは?
 姉さんに依存的になるまでに好意を抱いた背景には、その元となる存在がいたからこそなんじゃないのか?
 そして、僕は《関係性》というものがあるからこそ、その存在は生まれたと勘違いしていたけれど――その逆に、《関係性》という超能力で、彼女が自分の存在を縛っていたとしたらどうだろう? ということを僕は閃いたのだ。
 超能力が魂を由来とするのなら――じゃあ、魂そのものに宿る存在は、超能力すら超えているということになるのではないか。
「だから、僕は君の名前を呼ぶことができる――ソフィア」
「はい。お久し振りですね、一対さん。私はずっと傍で、またこの時が来るのを待ちわびていたんですから!」
 その姿は、まるで絵本から抜け出してきたかのようにぼんやりとくすんだ、金色の長い髪の女の子へと変わる。
「な、なんでよ……あなた、今、握り潰したじゃないの。私は、あなたから完全にあの少女を奪い取ったはずだったのに――永遠に切り取ったはずだったのに」
「姉さん。本当に姉さんは、僕のことが好きなの?」
「ええ――ええ! 好きよ。大好き! 一対、あなたの全部が欲しい。ちょうだいよ。全部、私にさらけ出して、全部、私だけのものに――」
「だからさ、そこから違うんだよ、きっと。
 姉さんが僕に抱いているのは、きっと愛でもないし、姉さんは僕に恋すらしていないだろう。姉さんのは略奪愛ですらない――ただの略奪だ。ただ、欲しいものを子供みたいに、誰かから奪い取っただけ。
 でもさ、そんなんじゃ、人の心は、本当の意味では与えられないんだ」
「どうして――どうしてよっ!」
「図らずも姉さんの失踪がそれを僕に教えてくれたんだぜ。三矢火だって、始まりはありえない乱雑さだったけれど、きっと僕をどこかで心配してくれたんだし、ソフィアだって、姉さんに扮してまで、ずっと僕の傍にいてくれた。
 僕のためを思って、与えてくれたんだ。
 だから、僕も彼女たちのことを想える。なあ、姉さん。僕があなたを失った悲しみに暮れていた時、あなたは何をしていたんだい? ただ、待っていただけじゃないか。僕のことを遠くから見て――それを観察していただけ。
 それは全然、対等な関係とは言えないよね」
「何を言っているか、さっぱりよ。あなたはただ、私の言うことを聞いていればいい。人形にしたっていい。ずっと、ずっと傍に、永遠に一緒に――」
「そんなことばっかり言っているから、わからないんだよ……姉さんは相手を見ているようでいて、自分のことしか見ていない。だから、ソフィアが僕の魂の一部ではなく、僕の魂全体に溶け込んだ存在だったってことを、見抜けない」
「ここまで、たくさん年月はかかりました――だけど、私はまた、一対さんの隣に、戻ってきたんです。次にどんなことをされようと同じです。私はずっと一対さんの傍にいて、あはは、それこそストーカーみたいに付き纏って、永遠に一緒にいることを、既に約束されているんですから」
「もう、あなたを、その女ごと人形に――」
「やってもいいぜ」
 僕はただ、姉さんの目を見る。
「だけど、そんなことをしたって、僕の心も、好意も、愛も恋も、きっと姉さんのものになることはない。それをわかれよ――いい加減に、子供はやめて、大人になれ。
 人形には人間の意志は宿らない。それはただのおもちゃに過ぎない。一人遊びはそろそろやめてさ、僕に向き合うというなら、本気で僕を、好きにさせようとしてみなよ」
「……じゃあ、例えば、どうすればいいの?」
「僕が言うことじゃないと思うけれど、例えば、喜ぶことをしてあげればいい。ただ好きだから、与えるんだ。寂しい時は、辛い時は、ずっと傍にいてあげる。喜ぶ時は、一緒に噛み締めて、共有する」
「そうしたら、いつか、一対は、私のことを好きになって……くれる?」
「かもね」
「ちょっと、一対さん!」
「でもさ……それは約束できない。このソフィアは手強いぜ。子供の頃の結婚の約束を未だに契約みたいに捉えて、生まれてから今までずっとずっと傍にいて、僕が薄情にもこいつのことを忘れている時も、支え続けてくれたんだから。 
 感謝しているし――普通に、僕はソフィアのことが好きだ。
 愛してるって言っていい」
「……一対さん」
「対して、全ての真相を知った今、僕から大切なものを奪った姉さんは嫌いだ。でもさ、僕が昔の魂の欠片を砕いたのは、もう一個意味があって、きっと姉さんに奪われたからこそ、これまでの人生はあったってことなんだ。
 色々な人の繋がりの中で、ずっと好きだった姉さんや、今は離れてしまった両親や、三矢火との親友関係や、これから始まるかもしれない火瓦浜との友情話や、蜜箸さんとのささやかな再会の約束や、短か過ぎてそして色濃過ぎた、《魂喰らい》との思い出や、そして、ずっと続いてきて、これからも続くソフィアとの関係で、そういった様々なもので、人生は彩られてきた。
 姉さんのことは嫌いだ。
 でも、姉さんが僕にやったことは、無駄じゃなかったんだよ」
「うん……」
 姉さんは、まるで少女みたいに笑って。これまでに何も知らなかった、無知で無垢で、それゆえ残酷だった少女のように笑って、そして言った。
「じゃあ、私はこれから、本気で一対を狙うね。人間の恋愛的な意味で狙うね。落としてみせるね。どんな手段を用いても籠絡するね。絶対の絶対の絶対に、私の足を舐めさせて、この足で踏みつけて、そっちから、『付き合わせてくださいお願いです』って言わせてみせるね」
「一対さん……これ完全に地雷踏み抜いている感じなんですけれど、いいんですか?」
「は、はは……計算通りだ」
「嘘ばっかりなんだから……これだから心配で、放っておけないんです」
「だから、いつかのその時のために、今はあなたを生かしておいてあげるわ」
「うん……姉さん、ありがとう」
 僕としては、そこで綺麗に終わったつもりだった。
 終わったつもりだったんだけれど……。

 そういう訳で後日談。
 今日も僕は、高校一年生として、騒々しくない程度には元気に、学校に登校する。ソフィアは僕にしか見えないのをいいことにベタベタしてくるし、たまに姉さんや三矢火や蜜箸さんに変身して、僕の萌えるツボを探したりしてくるし、何故か姉さんが通い妻的に毎晩家にいるし、毎日のように魔女用であるために人間が飲んだら死にかねない惚れ薬的な何かを色々なものに混入しようとしてくるし、僕としては本当に気の休まる暇もないんだけど。
 でもまあ、それが結局、この物語の顛末といったところなのだろう。
 あれら一連の事件のせいで、結局、僕は終業式をすっぽかし、なし崩し的に夏休みに突入してしまった。今日は夏休み明け、最初の登校日、始業式である。
 三矢火の葬式の時は、さすがにゆっくりと話す機会もなかったから、今日の放課後、始業式の空いた時間、火瓦浜の奴に今回の物語を話して聞かせてやることにしよう。真実味たっぷりな感じに話せば話すほど――嘘のようにしか思えないだろうこの物語を。
 ソフィアが化けていた姉さんには、今回の物語を冒険活劇だと言った。そして、《魂喰らい》は僕の前で命懸けの異能バトルを演じてみせた。
 しかし、ジャンルで言うなら――この物語は恥ずかしながら、きっと恋とか愛とか、そういう物語なんだと思う。
 十数年越しの想いが関係が、また届いて結ばれたり、歪んだ愛でも恋でもない感情から始まった、多分本物の恋愛だったり。
 まるで時代錯誤な、恋愛物語。
 まあ、恋愛脳だって馬鹿にされても――火瓦浜のような馬鹿な不良に言われても、別に僕はまるでこたえないぜ。
 まだ、あれから蜜箸さんには会っていないけれど、きっとどこかでまた会うだろう。あの魔女を無力化した存在として、若干僕が《魔女狩り》内で祀り上げられるみたいな厄介な風潮もあるし、その再会はそう遠くはないはずだ。幅取さんに今回の件を報告する機会も、いずれ訪れるかもしれない。
 今日もわいわいがやがやと騒がしく――それなりに愉快で、色々な苦難もありながら、それも味わって乗り越えて。
 そんな風に人生は――きっと、続いていくんだ。

 姉にも言えない。完。