「何故ヒヨリはヒビヤを助けるために生命を賭けられるのか?」(紅猫玉さん) | 墜落症候群

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メカクシティアクターズ。第四話。カゲロウデイズ。
コメントメカクシティアクターズ4話by紅猫玉
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05月04日 13:49
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また、コメント失礼します。
アニメでのやっぱりオープニングとエンディングが大好きです。
4話で気づいたのは、ケンジロウの珍海魚の標本がちゃんとあったなーというのと黒猫のかげがカノになってるんだなという事です。
カゲロウデイズへの切り替わりは唐突だと感じました。でもそれ以上に淡々とループお繰り返している時に突然カゲロウデイズが流れてきた事に違和感を感じて、違和感を感じた自分にびっくりしました。
ヒヨリとヒビヤの台詞からヒヨリの方が先にループに気づいているらしいというのは分かりましたが、アニメを見た後に本家の曲を聴いてpvを見たら良いのかなと思いました。もしかして、じんさんはそうして欲しいのでしょうか?
でも、初見の方はアニメ見た後にニコニコで本家を聴いたりしてくれるのでしょうか。
アザミの御伽噺はやっぱり少し長く感じました。これは何処かで一回pvつきでシニガミレコードを流して残りのcパートはそれぞれの話のその後を入れた方が、尺的にも分かりやすさも違ったのではないかと思ってしまいます。

でもやっぱりカゲプロの世界観とかが好きなので、これからも応援していきます。

 俺もOPは好きですね。第一話だとやっぱりOP映像が一番いいじゃん……って感じになっていましたし。
 ただ、他のアニメとかだと繰り返されるOPは個人的には飛ばしてしまったりもしますし、アニメの見どころはやっぱり本編だと思うので、ここからの挽回を期待しています。
 EDに関しては、単純に楽曲として聞くと、やっぱり俺はしっとり系よりは勢いのある曲の方が好きなんですが(EDなんだから言ってもしょうがない話)、PVの意味深な感じ、寂しげな感じはかなり好みですね。ヒヨリにヒビヤが、メカクシ団が寄り添っていって、最終的には周りの皆が消えてしまって、ヒヨリも消えるという、なんかちょっとバッドエンド風味っていうか切なさを感じさせるのが大変良いと感じるんですが、実際のヒビヤ・ヒヨリが登場する本編の「ざまあみろ」からの流れでは余韻も何もあったもんではないっていうか、「あうあー、何だこれー」状態ではありましたね(笑)
 っていうか、楽曲に登場する(カゲロウデイズやED曲もそうですけれど)ヒヨリの方が大人しい、ヒビヤを信頼している感じの幼馴染少女って感じがして俺は好みです。小説の原作のキャラ付けでエネは単純に苦手で嫌いなタイプだったんですが、ヒヨリはなんかこう……原型を留めてない感じが強かったですw アニメの声とあまりの傲岸不遜ぶりにその印象が増してしまいましたw
 小ネタちゃんと良く見てますね……俺は最近は、考察するにしても、若干全体の流れを考えるくらいで、あまりもう細かなポイントには着目しなくなってきました。
 あの黒猫はやっぱりカノなのかー。カゲロウデイズ世界でも、ケンジロウの謀略を手伝うしかなかったっていう流れなんですかね。カゲロウデイズ世界って特別な方法じゃないと死者以外行けないのかな、って思っていたので、カノはカゲロウデイズ世界入りしていないのかな、と思っていたのですが。
 ここら辺のルールもよくわかりませんねw 女王マリーを起点とする多層ループ世界構造と、カゲロウデイズ世界の定義については俺も興味があるんですが、ちゃんと説明されなさそうな気がするw
 カゲロウデイズ世界パートは……まず、記事でも書きましたが、非日常・異世界への移行パートがゼロ、あと淡々とし過ぎていて、狂気が伝わって来ない、更に言うならば、歌詞で言う数十年の部分がないせいで、楽曲及びわんにゃんぷーさんの自己解釈PVで感じられたカタルシスがないってことでしょうか……。
 ここら辺は難しいですよねー。アニメって現実と同じ時間で流れるじゃないですか。でも歌詞って物凄く短い時間に実は物語を圧縮できるんですよね。ちゃんと肉付けした上でカゲロウデイズをやるには、尺が足らな過ぎたと思うんです。下手に原曲再現をしようとして、説得力やカタルシス、キャラクターの気持ち等がおざなりになってしまった残念な出来ではあると思います。
 ヒヨリとヒビヤのセリフに関しては、初めヒヨリだけが「夏は嫌いだ」と言っているのが、最後、世界構造に気付いたヒビヤが「夏は嫌いだ」と返すシーンが、俺の書いたカゲロウデイズの二次創作にあるので、「まさかじんさん……パクったのか……w」と思ったというのはただのジョークですが、アニメよりも俺の二次創作の方が勝っている点を俺は二つ上げることができます(まあ、二次創作な時点で原作に敗北は必定なんですがw アニメに何が足りなかったのか、という話)。
 一つ目は、数十年のループを示す、ヒヨリ死亡のパターンを無数に列挙してある点です。その上で、ヒビヤの世界構造の理解をも織り込んであります。
 もう一つ目は、ヒヨリが先に気付いていて、ヒビヤを庇っていたとからこその、彼に真実を知られた時の動揺や、それでも自分が犠牲になるという覚悟を見せるという描写がある点です。
 アニメの欠点はもう一点あり、楽曲版の雰囲気では、ヒビヤとヒヨリはかなり親しげな関係であり、お互いに庇い合い犠牲になるのが当然という感がありますが、アニメ版ヒヨリはヒビヤのことなどゴミのように思っているということです。そのヒヨリが、先に事実を知ったからと言って、積極的にヒビヤを庇ったりするでしょうか? 夢みたいな世界とはいえ、自分から死を選ぶ覚悟ができるでしょうか? 二人の関係性の浅さこそが、「キャラクターの気持ちの流れを理解できない」という最大の欠点を浮かび上がらせています。これも楽曲版からの大きな乖離だと言えますが、ヒヨリをわがまま娘、ヒビヤをストーカーくんにしたことで、生命を預け合う二人という構図に何のリアリティもないのです。だって、田舎でもほとんど接点なんてなかったんですよ? ここを原作小説では「描写しない」という脅威の逃げの手を打ちましたが、アニメではカゲロウデイズ世界を描写してしまったために違和感が浮き彫りになっています。
 アザミのパートは俺はいらないと思っています。
 というか、アニメ版に総じて言えるのは、小説版が楽曲版とは矛盾し、キャラクター物になってしまったことを踏まえた上での、「小説版の通りにやれよ」、これに尽きます。
 楽曲版→小説版→アニメ版、良いところがドンドン削ぎ落とされ、想像力を掻き立てられないスモールスケールな物語になっていってしまっている気がします。楽曲→小説→アニメといえばいかにも人気の尻上がりのメディアミックスの構図と言えますが、逆に物語の本質的な面白さやクオリティはその順番で落ちてしまっているのが残念な限りです。
 楽曲版をそのまま流すってなると、もう「本家でいいじゃん」ってなると思うんですよね……w 俺としては、小説版そのままのアニメ化で、何故行けなかったのか、ってどうしても思っちゃいます。尺カツカツでも、小説が第六巻で完結するとしてですが、一巻毎に二話でやればよかったじゃんとw そうすれば、何だろう、キャラクター毎のストーリーって感じにもなりますし、「好きな巻だけ買う」みたいな若者向けのやり方になったんじゃないですかね。ついでに言えばそうすれば普通にBD一巻毎に二話収録という形態にも出来たのではないか、と思ってしまいます。原作小説はつまらない部分もありますが、それでもあえてそのままにやって、ちゃんとファンサービスする勇気が、アニメっていうあまり複雑な話は向かない媒体に、要素を詰め込み過ぎない勇気が、必要だったんじゃないか、と思います。
 俺もアニメは見続けていきますよ。酷評してしまったりもしますが、基本的には好転することを祈ってます。最後に大展開(カゲロウデイズ攻略編)が待っているんじゃないかとも思うんですが(色々話が省略されているため)、それまでに新規の視聴者は振り落とされ、面白いはずの展開もよくわからないことになるんじゃないかという危惧はありますね。なんともいえんw