何をそんなに心配しながら生きるのか?
お金の事、日々の事、仕事の事、人間関係、、、
起こるか分らない事に思いを巡らせわざわざ心配。
起こっちゃってどうにもならない事を思い出してはぐずぐず後悔。
心配しているその「起こるか分らない」事、実際に起こったためしがない。
ぐずぐず後悔している「起こっちゃった出来事」、後悔して元通りになるなら好きなだけ後悔するけどね。
そういう要らん事に思いを巡らせている間、その自分はどこで何してる?
心配できるだけの時間と、場所とシチュエーションが揃ってるから心配できるんだぜ?
心配できるだけの余裕がなきゃ、心配さえできないってこと。
心配できるってことは、時間と思考に余裕があるってことだよ。
このあいだ思った。テーブルの近くでコーヒーをすすっていて、こんなちゃんとしたテーブルのある家で生活して、
コーヒーも美味しく飲んじゃってるのに、なんでこんな心配してるんだ?って。このいまの現実にまず感謝しても良くね?って。
自分が現実として置かれているいまの状況、それがシアワセならそれに感謝する方が、要らぬ心配に時間を費やすより全然建設的じゃね?
不安の種から発芽する疑いという思考。
心配の花を咲かせるそれ。それにせっせと水や栄養をやる前に、現実、いま置かれた状況を見回せよ、感謝できる事だらけ。
それらに感謝して、それができている事を誇りに思えば、より建設的な思考になって生活できるだろう。