新しい年を迎えたと言う事で、年賀はがきの抽選で貰える【お年玉小型シート】をご紹介しようと思います。郵便局では年末になると【年賀切手】を用意しています。その【年賀切手】を組み合わせた小型シートが抽選で配布されました。

 

今年は辰年ですので、郵政省の時代に配布された辰年の小型シートを〚昭和〛の時代に限定してご紹介します。私は平成になるとわざわざ郵便局へ小型シートの交換に行かなくなりました。

 

 

 

【年賀切手】の歴史は古く、逓信省の時代だった昭和11年(1936年)用の切手から始まります。

昭和13年(1937年)用まで印刷されて廃止されました。昭和13年(1937年)と言えば戦時中で、前年に日中戦争が勃発しています。戦争の影響で廃止されたのでしょう。

 

初年度は ≪富士山≫、 翌年は ≪二見ヶ浦≫ で、最後の昭和13年には ≪しめ縄≫ が描かれています。いずれも普通切手と同じサイズです。

 

普通切手と同じサイズの場合基本的にシートは100面なのですが、初年度の昭和11年(1936年)用の ≪富士山≫ だけは、特別に20面の小型シートが100面シートとは別に用意されました。

 

 

 

戦後は昭和24年(1949年)用から復活しています。切手のサイズは大型で、羽根つきをする少女が描かれた美しいデザインです。翌年の寅年からサイズが小さくなりました。昭和47年(1972年)からは更に小さくなり、普通切手と同じサイズに変更されています。

 

年賀切手を数枚組み合わせた小型シートが用意されたのは、昭和25年(1950年)の寅年からです。年賀はがきに記載されている〈お年玉くじ〉の末等景品として小型シートが用意されました。

 

小型シート初年度には《丸山応挙》の【虎図】、昭和26年【ウサギと少女】、昭和27年【翁面】がデザインされていますが、昭和28年からは昭和46年まで一貫して郷土玩具が描かれています。

 

発行日を見ると、年賀切手だけが発行された昭和24年(1949年)の【羽根つきの少女】が描かれた大型の切手は前年の12月に発行されています。

 

小型シートが用意された昭和25年~昭和28年の4年間は切手も小型シートも新年を迎えた1月に発行されています。年賀切手は昭和29年から前年の12月に発行されるようになりました。

 

 

 

初年度となった寅年の昭和25年(1950年)と、翌年の卯年、昭和26年(1951年)の2年間はまだ葉書料金が2円の時代で、切手5枚の小型シートです。

 

昭和27年(1952年)の辰年には葉書料金が5円となっていて、小型シートの切手は4枚に減らされています。1966年に葉書料金が7円に値上げされた時にも4枚の形は変わりません。

 

1972年用の年賀切手は、葉書料金がすぐに10円に値上げが決まっていたためか同じデザインの色違いで7円と10円の額面が2種類用意されています。小型シートには10円切手が利用されました。

 

そして10円になった年からシートの切手枚数が3枚に減らされました。切手サイズも小さくなって普通切手と同じになりましたので、シート自体のサイズもかなりコンパクトになりました。

 

昭和51年(1976年)には葉書料金が20円に値上げされ、昭和52年(1977年)用の小型シートから切手が2枚となります。その後、昭和56年(1981年)に葉書料金が40円に値上げされた以降でも、2枚入り小型シートの形状は変わりません。

 

 

 

 

 

                    辰年

 

昭和の時代には、辰年の【お年玉小型シート】は4回発行されています。切手4枚の小型シートだった昭和27年(1952年)、昭和39年(1964年)、切手が3枚に減らされた昭和51年(1976年)、そして切手が2枚に減らされた昭和63年(1988年)の合計4回です。

 

 

          昭和27年用 年賀小型シート

 

      1952年1月16日 発行  発行枚数 3,083,000枚

 

            運用(配布)は1952年1月20日

 

年賀状に〈お年玉〉の制度が実施された事により小型シートが用意されて3回目の発行です。図案には【翁の面】が描かれました。新年を迎えた1月16日に発行されています。

 

この頃には銭単位が残っていて時代を感じさせます。まだ【印刷局】ではなく【印刷庁】の時代です。印刷も単色で風情があります。カラー印刷が始まるのは昭和30年(1955年)5月からです。

 

この年の3月発行の切手から銭単位の表記が消えます。そして1953年7月には ≪小額通貨整理法≫ により銭単位以下は使用禁止となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          昭和39年用 年賀小型シート

 

      1963年12月16日 発行  発行枚数 12,706,000枚

 

            運用(配布)は1964年1月20日

 

切手も小型シートも前年の12月に用意されています。昭和29年(1954年)の年賀切手から切手は前年の12月に発行されるようになりました。小型シートの運用は1月20日からです。

 

デザインには龍の郷土玩具が描かれています。この年は、第18回 東京オリンピックが開催された年でした。新幹線も開通していて、高度経済成長期の真っただ中の時代です。深刻な公害問題が顕在化した時代でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          昭和51年用 年賀小型シート

 

      1975年12月13日 発行  発行枚数は分かりません

 

            運用(配布)は1976年1月20日

 

葉書料金が10円になっていて、小型シートは切手3枚です。デザインには龍車と呼ばれる郷土玩具が描かれています。この年の3月には大規模な〈スト権スト〉と呼ばれる国鉄のストライキのため、全国の電車が1週間ほど止まってしまいました。

 

入学手続きのために東京へ出かける必要があった私は、地元のバス会社が臨時運行したバスで出かけた思い出がよみがえります。八重洲口で乗降したので駅弁を買い、その掛け紙も残しています。それは〚日本食堂〛の駅弁で、そこから駅弁掛け紙の収集が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          昭和63年用 年賀小型シート

 

      1987年12月  1日 発行  発行枚数は分かりません

 

            運用(配布)は1988年1月20日

 

この年の小型シートから年賀切手と慶事用の切手が組み合わされるようになりました。郵政省では

1982年より(慶弔切手)と言われる、慶事用と弔事用の2種類の切手が発行されています。

 

この年の3月に《青函トンネル》が開通し、4月には《瀬戸大橋》が全面開通しています。2種類の500円 記念白銅貨が同時発売されました。造幣局からは、記念硬貨2枚入りの貨幣セットも発行されています。

 

貨幣は500円2枚で1000円なのですが、セットでケースに入れられた価格は1400円だったか?、あるいは1700円?だったでしょうか。金額は覚えていませんが『高いナー!』と感じていました。それでも私は3セット購入しています。

 

この頃はすでに10万円金貨、1万円銀貨などが発行されていて、人気の貨幣セットは抽選でしたがこちらは価格が高ったせいかあまり人気がなかったようで、普通に購入できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     卯年 

 

 因みに昨年、卯年には以下の年賀小型シートが用意されていました

 

 

 

 

 

          昭和26年用 年賀小型シート

 

      1951年2月1日 発行  発行枚数 2,875,000枚

 

            運用(配布)も1951年2月1日

 

年賀切手は1月1日に発行されていますが、小型シートの発行は2月1日となっています。デザインにはウサギを抱えた少女が描かれています。戦後初の【羽根つきの少女】と近いデザインです。

 

葉書料金がまだ2円の時代です。当時の庶民感覚からしても比較的安いと感じていたのではないでしょうか。私が幼い頃の葉書料金は5円から始まりますが、けっこう安いと感じていました。

 

私の個人的な感覚ですが料金が『高くなったナ』と思ったのは、途中7円の時代を経て10円に値上がりし、その後さらに値上げされて20円になった時からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          昭和38年用 年賀小型シート

 

     1962年12月15日 発行  発行枚数 10,847,000枚

 

            運用(配布)は1963年1月20日

 

のごみ人形のウサギが描かれています。小学1年の頃から切手を集め始めた私が、当時兄の友人から4~5枚貰っていて最も馴染みのある切手です。この前年の寅年切手も4~5枚貰っています。私より5歳年長なのですが、弟のように可愛がって貰っていました。

 

この年の1月に到来した寒波は強力で、その時に発生した大雪で日本海側は遮断されてしまいます。【サンパチ豪雪】と呼ばれて今も語り継がれています。

 

【吉展ちゃん誘拐事件】が起きたのもこの年です。テレビで連日放送していました。遺体が墓に遺棄されていて、テレビに映った墓の映像は幼稚園だった私にも衝撃的で、今も眼裏に残ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          昭和50年用 年賀小型シート

 

      1974年12月10日 発行  発行枚数は分かりません

 

            運用(配布)は1975年1月20日                

 

デザインには水仙の釘隠しが描かれています。高校生の私は切手より友人と騒ぐ方が楽しく、また収集も琉球切手や収入印紙、年号別の現行貨幣に重心が移り、切手に興味を失っていた時代です。

 

年賀切手のデザインには常に郷土玩具などが描かれていましたが、葉書料金が10円に値上がりした昭和47年からこの年の昭和50年まで、4年間は変更されています。昭和47年には宝船が描かれ、

昭和48年~昭和50年は工芸品が描かれました。

 

この年の7月には【沖縄国際海洋博覧会】が開催されました。記念の100円白銅貨が発行されましたが、その発行枚数の多さに驚いたものです。〈およげたいやきくん〉がヒットしたのもこの年です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          昭和62年用 年賀小型シート

 

      1986年12月  1日 発行  発行枚数は分かりません

 

            運用(配布)は1987年1月20日

 

                 (所持していません)

 

この頃には郵便局へ小型シートの交換に行ったり行かなかったりで、貰う年もあれば貰わなかった年もあります。この年には貰っていませんでした。

 

昭和62年銘の50円白銅貨が流通用に1枚も発行されず、少量の貨幣セットだけに存在したのでかなり騒がれていました。500円白銅貨も二百万枚と少なく、どちらもプレミアがついています。

 

 

 

 

 

小型シートの発行枚数は、昭和48年(1973年)用までは分かりますが、昭和49年(1974年)用

以降は不明です。多分郵政省から単独では発表されていないのだと思います。

 

 

 

今ではカラーが当たり前の切手の印刷色ですが、昭和30年(1955年)5月に初めてカラーの記念切手が発行されています。昭和26年(1951年)12月に発行された5円普通切手が凸版の2色刷りでした。昭和30年5月までは、凸版2色刷り5円普通切手以外は全て単色です。

 

年賀切手も昭和30年(1955年)用まで単色で、小型シートは6種類存在します。私は一部を除いて派手なカラーグラビア印刷の切手が好きではなく、中学1年の頃から単色時代の切手が気に入っていました。

 

特に普通切手が好きでした。カラーでも落ち着いたデザインだからです。その上、親戚で書店だった隣りでは切手も販売していて、売れ残っていた〈第2次動植物国宝切手〉が定価で買えた時代です。好きな単色切手が揃う事も普通切手に興味を持つきっかけとなっていました。

 

カラー印刷で除いた一部と言うのは(切手趣味週間)(国際文通週間)の浮世絵切手です。私は小学4年生の頃から【浮世絵】が大好きでした。それは(切手趣味週間)の大首絵から始まります。