アメリカの統治下にあった琉球は【琉球列島米国 軍政府】と言う所属名でしたが、1950年12月8日には、自治制度を拡大する政策によって名称が【琉球列島米国 民政府】に変わりました。

 

1951年4月1日には【臨時中央政府】が設立され、司法、立法、行政は米軍による任命制が執られていました。1951年12月18日には立法府を公選化する法律が施行されます。1952年3月2日に選挙が行われ、同時に琉球政府も樹立されました。立法院議員の任期は1952年4月1日からとしています。

 

選挙制度を見てみると、最初は《中選挙区制》が執られていて、全琉球を8選挙区に区分して31名の議員を選出していました。任期は2年でしたが、最初に限り1954年10月までの2年半と定められていたようです。

 

ところが、1953年12月24日の『奄美地区本土返還』により、立法院は解散する事になります。そして1954年3月14日に第二回の総選挙が決まりますが、この時から《小選挙区制度》が執られます。全地域を29の選挙区に区分し、各選挙区から1名を選出して議員数は29名です。

 

各候補者への【選挙はがき】の配布数は、当初は一人5,000枚でしたが、1954年 ≪第二回総選挙≫

から一人1,000枚に減らされています。その後、1957年10月より一人2,000枚へと増えました。

 

 

 

 

周知のために各候補者には選挙はがきが配布されました。これまで、1972年の復帰までに八回行われた ≪総選挙≫ のはがきをご紹介しています。今回は任期中に議員の死亡などの不測の事態の時に、それぞれの選挙区において実施された ≪特別選挙≫ のはがきをご紹介します。

 

これらのはがきは総称して【選挙葉書】と呼ばれます。≪総選挙≫ のはがきを ≪特別選挙≫ に流用したり、ある選挙区のために用意された ≪特別選挙≫ のはがきを、別の選挙区の ≪特別選挙≫ に流用したりと、とても複雑です。

 

不足する時には急遽ゴム印を用意して、そのゴム印を押印した葉書が配布される事もありました。ゴム印は補充用なので数が少なく、なかなか見かける事ができません。

 

 

 

B円の時代に印刷されたはがきは、普通はがきの印面と(選挙)の表示を同じ色で印刷していました。普通はがきとは紙の厚さも違い、別のはがきとして印刷されています。⦅【王冠はがき】は普通はがきと同じ色で印刷⦆

 

ところが通貨がドルに替わって〚ちんちん馬〛正刷はがきが登場すると、普通はがきに選挙の文字を加刷するようになります。

 

 

 

最初に実施された《特別選挙》は、第1選挙区〚奄美群島 笠利村〛に於いて不正が行われた事が発覚したため、1952年8月24日に実施されています。立候補者は2名でした。

 

 

 

 

 

                   特別選挙

 

 

 

 

 

                  葉書印面=大型 王冠

 

     1952年 7月 26日 発行  発行枚数 約 25,000枚 

           第1選挙区 北部奄美群島 (笠利村)     

        《中選挙区制》の時代で、はがきの配布数は一人 5,000枚です。

 

                   所持していません

 

 

 

 

 

 

                  葉書印面=小型 王冠

 

     1953年 3月 3日 発行  発行枚数 約 30,000枚 

 

 

       第4選挙区 沖縄中部 1953年 4月 1日(無効)

                 1953年 7月 18日(再々選挙)

     第3選挙区 沖縄北部 1953年 4月 25日

 

       《中選挙区制》の時代で、はがきの配布数は一人 5,000枚です。

 

議員死亡のため、第4選挙区で立候補者2名により実施されました。しかし当選者無効により再選挙が5月に予定されますが、住民の反対で流れます。

 

その後7月に2名の立候補者によって再々選挙が予定されますが、1名の辞退により無投票となりました。この時のはがきは未使用のまま残されています。

 

4月25日には、第3選挙区(沖縄北部)で議員死亡により実施された特別選挙にも使われました。

 

 

 

大量に未使用が残されていて、郵便事務用はがきやメモ用紙代わりに利用されたようです。現存数も《特別選挙》はがきとしては多いようです。私も琉球たばこで大変お世話になったから頂いていて、三枚を所持しています。

 

 

 

 

 

 

 

          葉書印面=赤色 神社 (大型 波の上神宮)

 

      1954年 11月 6日 発行  発行枚数  4,000枚 

              第18選挙区 那覇 美栄橋     

          《小選挙区制》    はがきの配布数=一人 1,000枚

 

                   所持していません

 

 

 

 

         葉書印面=暗紫色 神社 (大型 波の上神宮)

 

       1955年 2月 8日 発行  発行枚数 2,000枚 

                第20選挙区 久米島     

          《小選挙区制》    はがきの配布数は一人 1,000枚

 

                   所持していません

 

 

 

 

         葉書印面=濃緑青色 神社 (大型 波の上神宮)

 

       1955年 3月 8日 発行  発行枚数 2,000枚 

                第23選挙区 佐敷村     

          《小選挙区制》    はがきの配布数=一人 1,000枚

 

                   所持していません

 

 

 

 

 

 

 

    第22選挙区 (本島南部 糸満)

 

          葉書印面=くすみ茶色 小型 波の上神宮

 

     1955年 7月 17日 実施  発行枚数 3,000枚 

 

        選挙制度 《小選挙区制》   はがき配布数= 一人 1,000枚

 

選挙制度は既に《小選挙区制》となっていて、はがきの配布数も一人1,000枚に減らされています。第22選挙区(本島南部 糸満)で、議員死亡により1955年7月17日に候補者数3名により実施されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     第25選挙区 (宮古島 平良)

 

            葉書印面=赤茶色 小型 波の上神宮

 
     1956年 11月 11日 実施  発行枚数 3,000枚 

 

        《小選挙区制》      はがき配布数= 一人 1,000枚

 

第25選挙区(宮古島 平良)で、第3回総選挙の無効のため1956年11月11日に候補者数2名により実施されました。消印のように印刷された(立法院議員 特別選挙)の、【挙】に旧字体の【擧】と新字体の【挙】が確認されていて二種類に分類されています。旧字体【擧】の方が少ないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     第18選挙区 (那覇 美栄橋)

 

            葉書印面=うす紫色 小型 波の上神宮

 
     1957年 8月 25日 実施  発行枚数 3,000枚 

 

        《小選挙区制》      はがき配布数= 一人 1,000枚

 

第18選挙区(那覇 美栄橋)で、議員辞職により1957年8月25日に実施されました。2名が立候補しています。

 

まるで写真撮影のエラーのように薄い色合いの印面ですが、この色で印刷されています。はがきの厚さも従来のはがきよりかなり薄く、ペラペラです。

 

 

 

 

 

《特別選挙》のはがきは、各地域で個別に実施されています。《総選挙》と比較すると、発行枚数が少ないためになかなか目にする機会がありません。どのはがきも大変貴重です。中には現存数があまりにも少ないため、幻のように扱われるはがきもあります。(久米島 特別選挙)

 

不足のための補充用にゴム印を押印した《特別選挙》はがきも何種類か用意して配布されました。

中には僅か500枚程度を押印したゴム印葉書も見られます。

 

二十代の頃に集めていた私も《特別選挙》のはがきには出会う事がほとんどありませんでした。そのため、頂いたはがきを併せても僅か枚数しか所持していません。

 

 

 

選挙はがきは未使用より使用済みの方が価値が高い傾向にあります。そもそも《特別選挙》は立候補者が少ないうえ、不足分を補充するためにゴム印が用意される事があります。

 

また一種類の《特別選挙》はがきが複数の選挙に流用されたり、《総選挙》のはがきが流用されたりして複雑です。選挙区を知るには使用済みで判断される事が理由として挙げられます。

 

 

 

今回は私が所持するB円時代の《特別選挙》はがきをご紹介しました。未掲載のはがきが四種類あります。その内の一種類(久米島 特別選挙)はかなり少ないようで、その希少さは琉球葉書の中でも有名な存在です。