第二次世界大戦後、アメリカの統治下にあった琉球は1972年5月15日に本土に復帰しました。昨年は復帰から50年と言う節目の年を迎え、今年は51年目となります。

 

さて、統治下にあった当初の所属は【琉球列島米国 軍政府】でしたが、1950年12月8日、自治制度を拡大する政策によって名称が【琉球列島米国 民政府】に変わりました。

 

1951年4月1日には【臨時中央政府】が設立されますが、司法官、立法官、行政官は米軍による任命制が執られていました。その後1951年12月18日には立法府を公選化する法律が施行されます。

 

選挙は1952年3月2日に行われ、立法院議員の任期は1952年4月1日からとしています。また、同日には【琉球政府】が設立されていますので、体裁上は【臨時中央政府】ではなく【琉球政府】による第一回目の【立法院議員】を選出する選挙が行われる事になりました。

 

選挙制度を見てみると、最初は ≪中選挙区制≫ が採られていて、全琉球を8選挙区に区分して31名の議員を選出していました。任期は2年でしたが、最初に限り1954年10月までの2年半と定められていたようです。

 

ところが、1953年12月24日の『奄美地区本土返還』により、立法院は解散する事になります。そして1954年3月14日に第二回の《総選挙》が決まりますが、この時から ≪小選挙区制度≫ が執られました。全地域を29の選挙区に区分して、各選挙区から1名を選出して議員数は29名です。

 

各候補者への【選挙はがき】の配布数は、初期の ≪中選挙区制≫ の時代は一人 5,000枚でしたが、

1954年 に実施された ≪小選挙区制≫ となった《第二回総選挙》から一人1,000枚に減らされています。その後、1957年10月より一人 2,000枚へと増えました。

 

 

 

総選挙は1972年の復帰までに八回行われています。周知のために各候補者には選挙はがきが配布されました。任期中に議員の死亡など不測の事態の時には選挙区において ≪特別選挙≫ が実施されますが、そこでも選挙はがきが用意されて各候補者に配布しています。

 

これらのはがきは総称して【選挙葉書】と呼ばれます。《総選挙》のはがきを《特別選挙》に流用したり、ある選挙区のために用意された《特別選挙》のはがきを別の選挙区の《特別選挙》に流用したりと、現状はとても複雑です。

 

不足する時には急遽ゴム印を用意して、そのゴム印を押印した葉書が配布される事もありました。

ゴム印は補充用なので数が少なく、なかなか目にすることができません。

 

B円の時代に印刷されたはがきは、普通はがきの印面と(選挙)の表示を同じ色で印刷していました。普通はがきとは紙の厚さも違い、別のはがきとして印刷されています。

 

ところが通貨がドルに替わって〚ちんちん馬〛正刷はがきが登場すると、普通はがきに選挙の文字を加刷するようになります。

 

 

 

 

今回は八回行われた《総選挙》のうち、1958年に行われた《第四回総選挙》までのはがきをご紹介します。現存数を見ると、《総選挙》のはがきは各選挙区で行われた《特別選挙》のはがきより発行枚数が格段に多いのですが、それでも初期のはがきは少ないと言えます。

 

 

 

                 第一回 総選挙

 

                  葉書印面=大型 王冠

 

     1952年 2月 2日  発行    発行枚数 345,000枚

 

1952年3月2日に施行された初めての総選挙のために用意されました。立候補者は60名で、議員は31名が選出されています。はがきは立候補者一人あたり、5,000枚が配布されました。

 

 

                   所持していません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 第ニ回 総選挙

 

               葉書印面=赤色 大型 波の上神宮

 

     1954年 2月 23日  発行    発行枚数 70,100枚

 

1954年3月14日に施行された第二回総選挙のために用意されました。本来の予定では、議員の任期は1954年10月まででしたが、1953年12月23日に奄美地区が本土に返還されています。奄美地区の議員が8名存在していたため、立法院は解散して第二回の総選挙が行われました。

 

今回より選挙区が前回の中選挙区から小選挙区に変更されました。中選挙区では8選挙区でしたが、

小選挙区となって、29の選挙区から29名の議員が選出されています。また、立候補者への選挙はがきの配布枚数が前回の5,000枚から1000枚に減らされました。

 

 

    波の上神宮の描かれた印面部分が大きいので【大型波の上神宮】はがきと呼ばれます。

 

 

 

 

 

 

             第一回 琉球郵便物 取扱競技会

 

第二回総選挙のはがきの残部が【第一回琉球郵便物取扱競技会】に流用されました。住所氏名などが孔版印刷され、≪佐敷局≫ または ≪具志川局≫ の消印が押印されています。

 

競技会流用で実逓便ではありませんので郵趣的な価値は問われますが、かと言ってなかなか目にする機会もありません。私が夢中だった20代には、沖縄の切手商でも見かけた事がありませんでした。これは琉球たばこの研究で大変お世話になった方からいただいています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 第三回 総選挙

 

              葉書印面=青緑色 小型 波の上神宮

 

     1956年 3月 11日  発行    発行枚数 65,000枚

 

1956年3月11日に施行された第三回総選挙のために用意されました。ローラー消印のような印刷の文字【挙】に字体の変化が見られます。新字体の【挙】と旧字体の【擧】の2種類が使われました。

 

現存数は旧字体の【擧】の方が一般的で、新字体の【挙】が少ないようです。これは残部として保管されていた新字体の【挙】が《郵便事務処理競技》で消費されてしまったためかもしれません。

 

 

     1955年より印面部分が1㎜小さくなり【小型波の上神宮】はがきと呼ばれます。

 

 

 

 

 

          郵便事務処理競技用 (6,000枚 使用)

 

《郵便事務処理競技》に流用されました。《通信事務》の印が押された、郵便局の通信事務に流用されたはがきもあります。《郵便事務競技》と《通信事務》の両方を併せて6,000枚の残部が流用されました。こちらは《競技用》です。

 

こちらも沖縄の切手商などでなかなか目にする事がありませんでした。前回と同じく琉球たばこの研究で大変お世話になった方からいただいています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 第四回 総選挙

 

              葉書印面=濃青色 小型 波の上神宮

 

     1958年 2月 23日  発行    発行枚数 140,300枚

 

1958年3月16日に施行された第四回総選挙のために用意されました。立候補者数は69名でした。候補者へのはがきの配布数は、1957年10月27日より1,000枚から2,000枚に倍増されています。

 

ローラー消印のような印刷の文字【挙】に字体の変化が見られます。新字体【挙】と旧字体【擧】の2種類が使われました。両方の字体に2種類の変化があり、合計4種類に細分されています。

 

 

     1955年より印面部分が1㎜小さくなり【小型波の上神宮】はがきと呼ばれます。

 

 

 

 

 

 

 

琉球の【選挙はがき】は大きく二種類に分けられます。こちらの《総選挙》はがきと、議員の死亡や辞職、違反などで行われる《特別選挙》はがきです。

 

《特別選挙》は各選挙区だけの地域選挙ですが、《総選挙》は全琉球なので立候補者も多く、はがきの発行枚数も多いので圧倒的に現存数は多くなります。それでも1950年代のはがきは少ないと言えます。私はこれまで《第一回 総選挙》のはがきを見かけた事がありません。

 

 

 

 

 

今回は1958年に実施された《第四回 総選挙》までご紹介しました。次回は1960年に実施された、《第五回 総選挙》のはがきから最後の実施となった《第八回 総選挙》までをご紹介します。