学生時代に旧形国電が好きだった私は、当時三種類の茶色い旧形国電が見られた京浜工業地帯の一画へ電車の撮影に出向きました。川崎駅から浜川崎駅まで、そして武蔵白石駅まで出かけています。
電車の撮影をしなくなった今も電車には多少の興味があるので、鉄道系ユーチューバーさんの動画は良く拝見しています。全国各地の風景や駅名を知り、小学生の頃に社会の授業で覚えた全国の地名が「アー、昔覚えさせられたな」と、地理的に現実によみがえります。
その中のおひとりに【鉄動画チャンネルTetsuo】さんと言う方がいます。その方が動画を4回に分けて、現在の《南武線》《南部支線》《鶴見線》《大川支線》をご紹介されていました。
川崎駅から始まりますが、そのルートが学生時代に私が撮影でたどったルートと一緒でしたので、とても興味深く拝見しました。その上、今は存在しない武蔵白石駅の《大川支線》へ向かう通路を詳しくご紹介されていますので懐かしさもひとしおでした。
そこで、【鉄動画チャンネルTetsuo】さんの動画をご紹介するとともに、当時私が撮影した写真を併せて掲示します。以前当ブログでご紹介していますので写真は再掲載です。
4回の動画は川崎駅から始まりますが、私が最も感銘を受けた場面が武蔵白石駅の大川支線ホームのご説明なので、初めにこちらの3番目の動画からご紹介します。
失われたホーム跡は、以前ユーチューブの動画で電車が通過するときの映像で拝見したことがあります。そちらは以前当ブログでもご紹介しております。
しかし、こちらの動画のようにじっくりとご説明いただくと壊されてしまった大川支線のホーム跡がとても感慨深く感じられました。電車は撮影しましたが、駅やホームへの通路などの周りの風景は全く記憶がなかったのです。
4回に分けられた動画の3番目です
南部支線の浜川崎駅から鶴見線に乗り換えて武蔵白石駅へ向かい、今は存在しない大川支線のホームへ向かう通路が詳しく説明されています。動画の時間で言うと、4:30頃からです。
武蔵白石駅
クモハ12型 17m電車が現役で武蔵白石駅で運用されていた大川支線のホームです。
4回に分けられた動画の1番目です。
旅の始まりで、川崎駅から南武線で尻手駅へ向かい、南部支線で浜川崎へと向かう旅が見られます。この動画の2番目では、浜川崎駅から鶴見線で武蔵白石駅へ向かう場面が撮影されています。
南武線
川崎駅
同じルートを通った駅で撮影した写真です。初めは川崎駅です。左側のホームは東芝へのホームらしいです。73系ですが、正面が運転台に改造されたタイプです。
尻手駅
南武線川崎駅の隣、尻手駅に到着です。101系と73系が並んでいます。ほぼ73系が主流で、まだ101系のほうが少なかったと感じていました。
南武支線 《尻手=浜川崎》
クモハ11+クハ16 《17m電車》
尻手駅では南部支線に乗り換えです。乗車する前に電車を一本見送って、クモハ11+クハ16両方の電車の正面を2枚撮影しています。
浜川崎駅から鶴見線に乗り換えて武蔵白石駅へ向かい、大川支線を撮影したわけです。
4回に分けられた動画の最後4番目の動画は鶴見線で鶴見へ向かいますが、私は鶴見線には乗車しませんでした。来た時と同じルートを戻り、川崎駅へ向かっています。
この時に鶴見線の73系も1枚だけ撮影しています。旧形国電の写真を以前アップした以下のページでご紹介していますのでよろしかったらご参照ください。
旧形国電=東京近郊 横浜線 鶴見線 南武線 | アリタリアfujiのブログ (ameblo.jp)
私が学生時代には昔をちょっと振り返るだけで私の記憶に残るだけでも、他には大糸線、篠ノ井線あたりに旧形国電が運用されていました。
新潟にも70系が走っていて「一度は乗ってみたいナー」と思っていました。北関東方面にも残っていたと思います。いずれの場所も住まいの高田馬場からは遠く、電車賃がかかるので貧乏学生の私は撮影をあきらめていた事が思い返されます。