先日、ブラタモリで鉄道特集が放送されていました。日本最初の鉄道駅の新橋から始まって、以前放送された横浜や大宮、湯布院などの番組を振り返りながら鉄道の歴史を語っていました。

 

番組のラストでは、今年が開業150年と言う事で日本全駅の入場券が硬券で限定販売される情報が流れました。現在JR全駅は4,368駅あるそうです。そして入場券は140円でした。解説では、全国のJRで硬券は2019年まで作られていたと言う事です。

 

ブックレットに収められていて限定250部が用意され、価格は1部70万円なのだそうです。

 

 

因みに私は、十代の頃から入場券を購入した事は一度もありません。電車に乗らないのに、駅構内へ入るだけで料金を取るのはとても理不尽だと考えていたのです。

 

ただ小学生の低学年の頃に、叔母に連れられて親戚の見送りで入場した事はあります。切符を買って貰って、手渡された切符に改札口で鋏を入れて貰った思い出が残っています。

 

 

 

        ”ブラタモリ”番組内で入場券のセットを紹介しているところです。

 

 

 

もちろん私が学生時代には、都内の近距離は自動券売機で購入するペラペラの磁気切符でした。しかし、帰省などで購入する長距離切符は窓口で購入するのですが、そちらはまだ硬券でした。

 

人口の多い都市部では自動改札が浸透しています。ところが、たまに都内近距離用の硬券も販売されていました。駅の広いエントランスの壁際にテーブルを用意して、駅員が直接販売したのです。

 

記念にと思って、偶然見かけると購入していますのでご紹介します。数枚程度しかありませんが…。

実際に鋏を入れて貰い、切符を使用しても下車駅で記念に貰えました。

 

 

 

 

                   高田馬場

 

              昭和53年2月21日  60円区間

 

当時私が住んでいた場所です。硬券の販売は何回か見かけたと思います。実際には利用せずに残していました。鋏が入っていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

                     池袋

 

              昭和53年1月18日  60円区間

 

多分、友人たちと飲みに出かけた時だと思います。ほとんど地元の高田馬場で飲んでいましたが、ごくたまに友人と新宿、池袋に出かけていました。実際使用しましたので鋏が入っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    高円寺

 

              昭和52年8月27日  60円区間

 

 

高円寺にも友人が住んでいて、たまに遊びに行っていました。その時に、偶然駅で販売しているところに出会いました。こちらも実際に使用して鋏が入っています。

 


 

 

当時、硬券がどの範囲まで販売されたのかは分かりません。一部の主要駅だけだったのか、それとも

山手線、中央線、総武線緩行、京浜東北線あたりの全駅で用意されたのでしょうか?。

 

国鉄がどのようなコンセプトで硬券を発行したのか分かりませんが、確かに当時の鉄道ファンの一部では「硬券が姿を消しつつある」と、良く話に出ていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

                     藤沢

 

              昭和53年2月28日  70円区間

 

 

藤沢には親戚がいて、学生時代には良く顔を出していました。この当時、藤沢も近距離は磁気切符だけだったと思います。乗車料金は距離で計算されます。

 

70円と言う料金がどのような料金なのか覚えていません。昭和53年の最低料金だったのか?、あるいは藤沢の両隣りの駅、辻堂、大船までの距離が長いために算定料金が高いのか?、不明です。

 

また、この切符はエントランスで駅員が用意していた特別販売だったのか?、それとも窓口で購入したのか?、良く覚えていません。たしか、まだ東京までの切符を買うと硬券だったかと思います?。

 

 

 

 

 

鋏の入れられた切符が三種類あり、その切り口は全て違います。色々な形があった事が分かります。

未使用も良いのですが、実際に鋏を入れられた切符が今では懐かしく感じます。

 

利用した切符がなぜ残っているのか覚えていないのですが、硬券では自動改札機の出口は利用できません。出口の端にある駅員の立つ場所を通過します。本来そこで回収されるはずです。

 

多分、国鉄でも記念切符扱いと言う事で、回収しないで確認した後に返してくれたのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

                 国鉄線乗車票

 

乗車票と言うのが残っています。あらかじめ区間を決めて、往復で利用できる切符のようです。確か栃木の友人に貰ったと思います。茨城の友人からも貰っているかもしれません。なぜ、どのように使っていたのか全く聞いていません。

 

私は利用した事がなく、その存在も知らずどのように使用したのかも知りません。栃木の友人の家は東武線の沿線だったと聞いていますので、私鉄との関係で使用したのでしょうか?。運休になった電車の代わりともありますが、私には事情がよく分かりません。

 

 

 

                   川島=岩瀬

 

        昭和51年6月30日 まで有効

 

 

             発行日から半年の有効期間だったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 高田馬場=新宿

 

        昭和51年9月30日 まで有効

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 船橋=高田馬場

 

        昭和51年10月31日 まで有効

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 新宿=高田馬場

 

        昭和51年10月31日 まで有効

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   急行券

 

前回【急行券】をご紹介しましたが、一枚掲載漏れがありましたのでこちらでご紹介します。友人たちと≪越後中里≫までスキー旅行をした時の急行券です。特急料金は高いので急行を利用しました。

 

特急電車は L特急≪とき≫が走っていましたが、この時に乗車した急行電車が何という名前だったのか覚えていません。車両は165系だったと思いますが…。

 

 

              越後中里➡200Kmまで

 

           昭和53年2月10日