荒川線 線路移設のニュース

 

先日ネットでニュースを見ていたら”荒川線”の線路移設が行われていると言うニュースに目が留まりました。移設工事が行われているのは《鬼子母神前》から《雑司ヶ谷》の間あたりと言う事です。

 

環状線と明治通りのバイパス設備のための移設のようです。現在は≪東京 さくらトラム≫と名前が変わっているようですが、ニュースでは”荒川線”となっていました。

 

私は”荒川線”雑司ヶ谷と言う地名にノスタルジーを覚えました。「そう言えば、雑司ヶ谷の付近は早稲田から乗ったな、直線が長かった?…」と、撮影に出かけた学生時代の事を思いだしたのです。

 

 

 

 

ユーチューブで私が撮影した場所が分かりました。

 

もう45年ほども前でしょうか。学生時代、高田馬場に住んでいた私は友人と二人で”荒川線”の撮影のために、早稲田の停留所までのんびりと歩いて出向きました。勿論、乗車して移動もしました。

 

ニュースを読んで思い出がよみがえりましたので、さらに記憶をたどりたいと思いユーチューブで”荒川線”を見ていたら、懐かしい動画に出会いました。王子駅前、昭和52年の動画です。

 

私は、昭和52年の9月頃に撮影に出かけています。当時、ほんの数枚の写真を撮影しましたが、友人と話してばかりでどこで撮影していたのかほとんど覚えていなかったのです。

 

その中にはホームの写真もありました。しかしどこで撮影していたのか忘れています。ユーチューブで最近撮られたらしい”荒川線”の動画風景を拝見していると、もちろん≪王子駅前≫も写されています。 「ここかナ?」 と想像はしていました。ところが動画に写るのは、私が撮影したホームとよく似ていますが、当時と今では全く違います。

 

今回、昭和52年当時の動画を拝見して場所が特定できました。「アッ!、やっぱりここだったのか。」どうもその場所は、王子駅前のホームで間違いないようです。

 

        左 7055   荒川車庫行き       右 6213   大塚駅行き

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左端にある(マルイチ)と書かれた看板は目立ちます。拝見した動画にも写っていますが一緒だと気づきました。

 

 

 

 

ユーチューブで色々な情報を知りました。


今では車両の乗降口がホームとフラットになっているそうです。現在のホームの位置が当時の倍以上も高くなっています。学生当時のホームは、階段一段程度で軌道に降りられました。

 

そう言えば昔、道路にチンチン電車が盛んだった頃には、ごく普通に道路上にホームがありましたが、ブロック一段程度の高さでした。

 

 

学生当時も今も、”荒川線”はひとつだと思っていましたが、実は3系統が合わさっているそうです。その名残りでしょうか?、学生当時に写した写真の行き先案内板は色々な場所が表示されていました。

 

 

 

当時運行中の車両は、都内で廃止された路線の中から状態の良かった【7000型】と【7500型】が投入されていたようです。その中で【6200型】が台数も多く、結構がんばっていました。

 

私が撮影した時には【7500型】はすでに改造されていて、青いラインのワンマンカーでした。東日本大震災の起きた2011年3月に引退したそうです。盛大に引退イベントも予定されていたようですが震災で中止され、ひっそりと引退していったようです。

 

1977年から【7000型】も改造されて、現代的な一枚窓の新しい姿に生まれ変わって運行が続けられたそうです。私の撮影と同じ年のようですが、当時一両も見た事がありません。その後も改造が行われて、台車を利用して現在も新型車両として活躍しているようです。

 

 

 

 

写真はほんの数枚と少ないのですが、数年前にヤフーブログにアップしていました。ヤフーブログ終了とともにこちらに移動しています。懐かしく思い出しましたので今回リブログしてご紹介します。

 

 

 

ユーチューブで拝見した、私が目頭が熱くなるほどに懐かしい昭和52年当時の王子駅前の動画です。偶然にも、私が学生時代に撮影した年と同じ年の映像です。

 

こちらを拝見して、忘れていた学生時代に私が撮影したホームの場所がここだったと分かりました。

 

 

凡そ、小学生や中学生の頃、子供の頃の思い出はさすがに 「古い、昔の事だナ~」 と感じますが、私には大人になった学生時代はまだ最近の事のように思えてしまうのです。しかしこちらのフィルム動画を拝見すると、やはり 『かなり昔の事なのだ……』 と実感させられます。