☆祈りと魂について☆


            take


「祈り」はとても奥が深いテーマです。

人類の歴史を振り返っても、様々な時、場所で、様々な「祈り」が捧げられ、物語が繰り広げられています。

「祈り」は神とのコミュニケーションだと言う人もいます。


前回ご紹介したジョセフ・マーフィーさんの本は、「祈り」がどのように作用するのか、「祈る」ことによって自分の中に何が起こるのかなどが書かれ、ある意味で、”どのように思考を使えばいいのか””どのような考えが自分や自分の人生に影響を及ぼすのか”について教えてくれるもののような気がします。彼の本は、ただ”どのように成功するか”というノウハウだけが書かれたものではなく、どのように生きれば、平和、調和、共存など、愛を基調とした世界で生きていくことができるのかということも書かれていると感じます。


例えば彼の教えで重要だなと思うことのいくつかとしてはこのようなものがあります。(『マーフィー自分に奇跡を起こす心の法則』ジョセフ・マーフィ著/加藤 明訳/三笠書房)


ポジティブな方向へと自分の人生の針路を定めたい時の祈りとして…

「神(潜在意識)があらゆる面で私を導いてくれる」 ということを心で実感していく。


又は、このような意識を持つこと(自分の人生は自分が作っていると、自分の人生に責任を持つ)…

「あなたの意識こそ、あなたの人生における唯一の創造力です。あなたの意識とは、あなたが考え、感じ、信じ、精神的に同意するもののことです。これこそが、あなたの人生における体験、条件、環境、出来事などすべての結果をつくり出す原因なのです。原因を外部に求めてはなりません。外部のものは結果だからです」 など。


マーフィーさんの本は私にとって、本当に、心や意識の使い方どのような心構えでいることが重要なのか、また、人間の持つ可能性についてひらめきを与えてくれた&くれるものですが、それでもやはり、”祈れば何でも叶う・・・というわけではない”という風にも私は感じています。


私がそう感じるのは、”祈っても叶う願いと叶わない願いがある”ということを体験したり、見聞きしてきたりしたことがあるからです。この体験や見聞きというのは、この人生でのこともあれば、他のどこかからの記憶であったり、歴史などを見て思うことです。


これは、マーフィーさんの言う、顕在意識と潜在意識の間に融合の橋が架けられていないという見方もできますし、言葉を変えると、”今ここにいる私”と、”魂としての私”の間に隔たりがあると捉えることもできるのではないかと思います。


マーフィーさんの本は、その隔たりをなくす為に、顕在意識を使い(自分でそれを行うと決意する)、イメージや「祈り」を唱えることで、潜在意識に願望や自分が望む在り方を刻印していくという方法を教えてくています。この方法は、意識的に自分のネガティブ(不健全)なパターンをポジティブ(健全)なものに置き換えていくという意味で、とても役に立つ方法だと思います。ある一定のパターン(祈り)を潜在意識に刻むことができれば、あとは自動的に自分をその方向へと導いてくれるようになるというのも実感しています。しかし、「祈り」や「願望」成就には、この方法が適しているものと、もう少しよく考えた方が良いものがあると感じています。


私は「祈り」や「願望」の成就については、「魂」との関連があるという風にも感じています。つまり、”今ここにいる私”が望むこと、願望や祈りは、”魂としての私”の思いと合っているのかということも重要なポイントになるのではないかと思います。


例えば、”今ここにいる私”は、これが欲しいし、これがしたい。でも、”魂としての私”は、それを望んでいないかもしれません。”今ここにいる私”は今ここにお金が欲しい。でも、”魂としての私”は、働くことを通じて得られる経験を求めている。

そのような場合、その経験をする為に、お金がないという状況があるかもしれませんし、そこでどんなに祈っても、何も起こることはないかもしれません。そのような時に、もし”魂としての私”を理解していない場合、”何で?!!!”となりませんか? (”今ここにいる私”はこれがしたいのに…と)

これは、恋愛、結婚、進学、就職、夢など様々なことで当てはまります。


もしかしたら、本当に、潜在意識に「祈り」を刻印すれば、”今ここにいる私”の願いは叶うこともあるかもしれません。しかし、”魂としての私”から見た場合、それが本当に良い事なのかどうかはわかりません。ここを見極めることが、「祈り」という行為をただの形式にせずに、時間と思いを無駄にしないコツのような気がします。これは頭では理解できると思っても、実際に腹の底から理解するのはけっこう大変~…というかんじもありますが。


しかし、「祈り」には、オールマイティーなものがあるので、「全てがうまくいきますように」などを唱えて、最善を期待し、結果を手放していれば、自分で状況を細かくコントロールしようとしているわけではないので、これはこれで良い「祈り」だと思いますし、実際にこれはとても良い祈り方だと思います。

この祈り方だと、”ここにいる私””魂としての私”の綱引きをすることなく、あるべき&行くべき方向へ流れることができるのではないかと思います。

「祈り」といっても、自分の願望成就であったり、誰かの為の祈りであったりと、様々なパターンがあり、その時々で話が変わってきてしまう為、今も話が色々な方向へ流れていきそうになってしまいました。

ということで、今日はこの辺で☆


今回のまとめとしては、祈っても叶う願いと叶わない願いがあるのは、「魂」との関連があるかもしれない…ということです。