最近とにかく本を読んでます。

本屋に行くとちょっとパニックに陥ります。
欲しい本がありすぎて。

「不都合な真実」は立ち読みです。三田図書館に早く入らないかな~ まあでも地球環境問題は昨日今日始まった問題じゃない。ただ今その変化があきらかに目に見えて明らかになってきたので一般の人の関心が高まるのは最もですね。長年警告してきた人たちも説得しやすくなったというか。ゴア曰く「結果の時代に入った」と。私が小学生の頃「酸性雨」が騒がれ始めてあの頃の私が出した結論は「本当に地球にとっていいのは人間が絶滅する事」。それを先生に言ったら苦笑いされたのを覚えている。今読んでるビートたけしの「だから私は嫌われる」の中でたけしが「自然を守るのなら人間を殺せ」と言っていた。あの頃の私がこの本を読んでなくてよかったとちょっと思う。今は、共存の道を探す事が私の答え。生まれたならそこに意味があるだろう。
今の私たち人間社会よりも、はるかに長く地球に繁栄した恐竜が突然絶滅したのは隕石衝突説などいろいろありますが、当時何らかの大きな気候の変化があったと伝えられています。人間社会のような環境汚染をしていなくても、彼らは滅んだ。
地球自体が誕生したばかりの頃は大陸は陸続きで、海は濃い酸性。生き物も植物も存在しなかった。それを考えると人間社会も「地球の歴史のほんの一部」でしかないわけで。
「私たち人間はほんとにちっぽけな生き物なのに
大きな大きな力を手にしてしまっている」と思ってたけどそれもおごりじゃないかな。とにかく人間は自分中心に物事を考える生き物だから。
汚染で「地球が泣いてる・悲鳴をあげてる」っていうけど泣いてるのも悲鳴あげてるのも私たち「人間」でしょ。
「46億歳の地球」を「一億年にも満たない私たち人間社会」が道連れにするなんて恐れ多くないかしら。
動物を絶滅危惧といいますが、これまでどれだけの生き物が存在して絶滅していったか。人間が認知してるしてない限らず。
人間の都合によるケースにはもちろん反対ですが。矛盾してます?いや、それが人間でしょ!
 
宇宙人が地球に来て生き物のいない地球の地層に人間時代を見るかもしれない。はたまた今たまに発見されるUFOは実は生き残った数少ない人間が知恵を絞って創ったタイムマシンで今の私たちに警告しに来たのかもしれない。今、何とかしなきゃ大変よって・・・
なんて事を通勤途中の電車で考えてます。誰か止めて頂戴。このままじゃ小説家か映画監督になっちゃうよ。売れないってか。いや、ごもっとも!


屋久島に行って縄文杉に会ったら私は彼にあやまるかもしれない。
わたしたちはあなたを道連れにするかもしれないと。
でもそんな必要はないか。彼は分かっているだろうから。
人間の愚かさと、そして、素晴らしさを。


この前職場の近くの三田図書館に勤務前に本を返すだけに寄ったのに、返却窓口の近くに新刊が並べられていてつい借りてしまった
「教育で平和を作る~国際教育協力のしごと~」
たまたま浅草で友人と食事をしていた時、今通勤中に読んでる本、という事でこれを見せたら
「うえ!俺マジでそれ無理だ!字が読めねえ!」
と顔をほんとに苦しそうにしてました(笑)でもこれ、岩波ジュニアから出ているおそらく小学校高学年向けに書かれていて読みやすかっただす。

そしてさっき読んだのが「卒業式まで死にません」
南条あや、という子の話です。聞いたことある人いますか?自殺前、メディアにも露出していたようです。この子は今はこの世にはいません。この本を読んでいるとすごく自分がダブります。あや、という名前はハンドルネームですが生まれた年は同じ1980年です。もちろん私はリストカットなどの自傷行為なんかしたことありません。でも彼女と同じ年頃、思春期独特の、自分のあり方や居場所に苦しみながら表現する場所を探し死に物狂いで手を伸ばしていた気持ちが「分かる」というか「同じ」でした。
彼女は、私だったかもしれない。
今日ちょっとセンチメンタルなのは南条あやに会うことで昔の自分に会ったからだと思います。

改めて、感謝したい。
家族や友人のみんなに、あなたに。 
ありがとう。
彼女と私の道を分けた境は 
誰でもないみんなの、あなたの、 温かい手が私の手を握ってくれたから

2001年1月26日

JR新大久保駅で酔っ払って線路に転落した人を助けようと日本人カメラマンと韓国人留学生の二人が線路に降り 

三人とも帰らぬ人となった。



私は2001年、東京にいて この事故の事はニュースで知った。
当時の私は 「助けようとして線路に降り三人とも死亡」 という事故に対してすごい事故だな、と思った程度だった。
なぜニュースでその助けに入った一人が韓国人留学生である事を大きく騒ぐのか分からず、というよりそのことを気にとめてさえいなかった。

なぜこの映画を観ようと思ったか。
それは今の私が 知らなければいけない事だと 思ったから。


LAで3ヶ月通った語学学校はコリアンタウンにあった。
そのせいか学生は韓国人が多かった。
「韓国人の女の子は気が強くて怒りっぽい」と何人かの人から気をつけたほうが良いよ、と言われていた。

入学式の時、いつまでたっても先生が来ないので「今何時か分かる?」と一つ後ろの席に座っていた二人組の男の子に英語で聞いてみた。彼らは時間を教えてくれ、先生遅いよね、なんて話してたら彼らが「君、韓国人?」と聞いてきた。「日本人よ」と答えると、一瞬止まって彼は下をむいた。その時彼が何を思ったかは分からないが、その後クラスは別々にもかかわらずエレベーターやクラス移動で会えば挨拶し合い、「最近どうよ?」と話すようなった。思えばけっこうタイプだったかもしれない(笑)まあ、それはよしとして…。

英語が使いたかった私はクラスで日本人とからまず、韓国や他の国の子達と話すようにした。
今思えば確かに、最初韓国人の彼女達は私に対して壁があったかもしれない。朝「Hi!」と挨拶しても目を合わせずに小さく返事を返される事もあった。
まあでも私はこういう性格だという事もあり、毎日挨拶してクラスで元気に騒いでいると同じ年頃の女同士、親しくならないわけがなく彼氏の話や先生の話やらで盛り上がるようになった。特に仲のよかった韓国人の女の子三人とは、授業が終わった後は毎回韓国料理や日本食を食べに出かけるようになった。

日本に帰る前にハリウッドにお土産を買いに行くと言ったらそのうちの一人のミシェル(韓国の子達は大抵みんなアメリカンネームを持ってます)が一緒に行きたいと言うので学校が休みの日に車でコリアンタウンまで彼女を迎えに行き二人でコダックシアター辺りでお土産散策をした。帰り際ファーストフード店で一休みした時、今日が彼女に会う最後の日と思い、思い切って話してみた。
「最初、日本人の子達から韓国人の女の子は気が強いって言われてたの。でもミシェルもアンもシーネもそんなことないし、すごい気使い屋さんだし、私、みんなに会えてほんとよかった。日本人だって気の強い人いるし、結局は人によるって事だよね」

ちょっとした賭けだったかもしれない。でもどうしても私なりに韓国人として日本人として繋がったものを確実なものにしたかった。
彼女は「そうだよね。」とひとこと言って笑った。帰る前にもう一回会いたいね、と言いながらも色々忙しいから無理だろうね、と話しながらその日彼女にさよならをした。

それから3日後(私の帰国2日前)の夜9時過ぎ、ミシェルから電話が入った。これからアンやアンの旦那さんたちとコリアンタウンで飲むからありすもおいでよ、との事だった。
もう遅いしな~というと、いつもは人に無理を言う子ではないミシェルが「ね、お願い、ありすも来て!」と言うので、車で夜のコリアンタウンを目指した。店に着くと彼女たちらしい人は見当たらず電話をかけた。
ありす「店に着いたんだけど、どこに座ってるの?」
ミシェル「今行くわ!!」
その店は入るとすぐに大きなカウンター席があり韓国人のウエイターやコックさん4~5人が立っていた。すぐにミシェルがやってきた。
「おおお~~ありす~~~~!!!!」
私を見つけるなり彼女は抱きついてきた。いつものハグとは違う。ハグが終わると顔をくしゃくしゃにして彼女は泣き始めた。
「どうした!?どうしたミシェル!!??」

彼女はボロボロ泣きながら言葉につっかえながら言った。

「もう会えないかと思った。ちゃんと言えないかと思った。ちゃんと会って言いたかった。 
LAに来る前バンクーバーの語学学校にいた時、そこで日本人の子達がなんでか分からないけど私に対してだけ態度が冷たかった。それで私、日本人が嫌いになった。でも、ありすは違った。私はありすに会えたから日本や日本人が好きになれた。ありすが唯一の私の日本人の友達よ。ほんとは、ありすが結局は人によるって話をしてくれた時、言いたかったけど言えなかった。」

子供のようにボロボロ泣きながら話す彼女に私もボロボロきてしまい、店の入り口でウエイター達に見つめられながら抱き合って泣いた(笑)

今でも彼女達とはメールでやり取りしている。日本に帰ったばかりで悩んでる時も彼女達は励ましてくれた。ついこの間も一人から「今年結婚する」とメールが来た。





それでなくとも歴史という壁があるのに、自分が「韓国人」だからという事で差別され事故にあっても助けてもらえない。
そんな状況で日本人を救おうと、     命を。

「今」だから
いろんなものを肌で感じ取った「今」だから
彼が貫きたかったものが何だったかが、分かる。

今の私と同じ26歳。

電車がせまる7秒間ほど彼は電車に向かって「止まる」よう合図し手をふったという。
7秒間あれば、逃げられたはず。


10メートル…


5メートル…

3メートル…



電車が 自分に触れる その一瞬 何を思ったんだろう。


考えるだけで私は目を背けたくなる。
でも

私たちは考えなくてはいけない。    「人間」として。

私たちは受け止めなければいけない。  「日本人」として。

私たちは生きていかなければいけない。    
            彼がその「命」を捧げてまで貫いた「思い」を忘れずに。

         

              
                 あなたを忘れない。

「ひとが否定されないルール」という本を読んでいます。


10年前にこの本に出会いたかった。


でも「今」出会えたことに  意味を感じる。




風が吹く。



先週の日曜は、母の日でした。


ここロサンゼルスでもMOTHER'S DAYにふさわしく、たくさんのプレゼントがお店に並んでましたドキドキ


LAに来る前も東京で一人暮らしをしていましたが、やはり海外に住んでいるのとはワケが違います。

何かあってもリアルタイムで連絡をとるのは難しく、また「ロサンゼルス」という治安の悪さも心配をかけてる要因の一つです。見えない敵に怯えててもしょうがないじゃんという私の考えとは裏腹にやはり心配するのが親心☆(って親になった事ないけど)


LAに来てからホントに心配ばかりかけてると しみじみあせる


普段からあまり素直に思いを言葉にできない性分なので この特別な日を利用し メッセージとカーネーションを送りましたブーケ1


いつも迷惑と心配ばかりかけてごめんなさい  本当にありがとう


そんなメッセージを書いてたらなんだか涙が出そうになりました汗あたしも年かしら(x_x;)


数日後、おかんからメールが届きました。


カーネーションありがとう  メッセージを読んだら涙が出てきたよ


そんなおかんのメールを読んで さすがにナミダ(T_T)


頑張ろう いつか家族が自分を誇れるように。

去年の10月くらいに撮ったshort film「2dogs inside」の上映会がありました!
自分が出た映画を、大きなスクリーン・映画館で観るのは始めて☆なんだか緊張しました。
出演者、スタッフ共にアメリカンだけというプロジェクトは始めてで色々勉強になった思い出深い作品です。英語も微妙な私にみんなすごく優しかった・・・。

出た、と言ってもあたしの役は主役の影武者的なもので(説明が難しい)顔などは移っておらずセリフもありません。実際に使われたカット数も5,6ショットぐらいだったと思う。

でも大画面に自分が居て、心臓がドキドキし
エンドロールに自分の名前を発見しニヤニヤしてました。ヒヒヒ

ちなみこの作品の主役の女優・ポーラは日本食が大好きでサンタモニカの夢舎(居酒屋)に彼女のサインがあります。彼女にすごくいい店だと勧められて、友達と行った時、店の人に彼女と友達だと話したらお土産に袋に入ったかわいい飴をくれました。ポーラ効果絶大!!(笑)

そして思ったこと。
いつかエンドロールのクレジットの一番最初に自分の名前を出してやる!

みにろーず2

およそ1ヶ月ほど前にお花をいただきました。

花びらは白で、先だけうっすらピンク なんともロマンチックなミニバラです。

お迎えの車に乗ろうとすると「ちょっと待って」と車からごそごそ取り出してきて、手渡されたのが

このなんとも清楚なお花たちでした。

「花束にしようかと思ったんだけどすぐに枯れちゃうから」

そんな想いから選ばれたミニバラの鉢。

それはそれはきれいに咲いていたのに・・・

枯れてしまいました(泣)

ちゃんとお水もあげて、毎日話しかけていたのに・・・。

近所の世話好きなおばちゃんのノーマにどうしたらいいか聞いたら

とりあえず枯れてる部分を取り除いて、日陰に置きなさい

とアドバイスをくれました。

その通りにしてたのに、やっぱりダメだった。

ミニバラは特に育てるのが難しいらしいですが

かなり、ごめんなさい。です

はあ・・・