少し前からゲームセンターが流行っていた。
 それとも、ゲームセンター自体は、もっと昔からあったのかも。
 わたしたちが、ゲームセンターが気になる年頃になったというだけなのかもしれない。

 渋谷駅のそばに新しくできた大きなゲームセンターは入り口で身分証明書を見せなければならなかったので、一度追い返されてからは近寄れなかった。
 わたしは、どうしてもゲームがやりたかった。
 小学生の頃に夢中だったインベーダーゲームはもう流行遅れで、もっと高度な技術を必要とする複雑なゲームが増えていた…。

 わたしの家のすぐ近くの雑居ビルの一階に、ショボくれたゲームセンターができた。
 前はスナックだった。
 元から店舗用でガラス張りになっている部分のカーテンが、全部外されていた。
 中では、大学生くらいの男の人が、店の奥のカウンターで暇そうにマンガを読んでいるだけだった。
 数日後に店の前を通ると、どこかから湧いてきた小学生が十人くらいで、一台のテーブルを取り囲んでいた。
 みんな同じショルダーバックを肩からかけていて、押し黙って、眩しそうに目を瞬かせ、とても真剣にテーブルのガラス板の下のディスプレイを見ていた。

 小学生が入れるのだから、わたしも入れるだろう。
 わたしは、ますますそこに入ってみたくなった。
 けれど、繁盛していない店特有の暗い雰囲気に怯んでしまう。
 それからも数日、店の前をうろついて、諦めきれない気持ちのまま帰った。

 香奈が一緒なら、臆することなく入れたはずだ。
 わたしと香奈は、中学一年のときにお互いが牛丼未体験とわかって、牛丼屋突入作戦を決行したことがある。

 日曜の午後を選んで、とうとう店に入った。
 店は、外から眺めていたのと同じで薄暗く、大きな柄を施した壁紙や赤いカーペット敷きが、スナックの雰囲気そのままを漂わせている。
 声が低そうな店番のお兄さんは何も言わなかったし、わたしにすら気づいていないようだった。

 財布から千円札を出して、両替機に入れた。
『五百円玉は両替しません』と書かれた紙が、セロハンテープで張り付けてある。
 わたしにはまだ、五百円玉が回ってきていなかった。
 発行された日に、父が、わざわざ銀行の窓口に並んで両替してきたと、ピカピカする大きな硬貨を見せてくれただけだ。
「千円の両替で、これ二つを、ぽんって返されると、損した気分になるわね」と、母が言った。わたしは、ゲームセンターのコインみたいだと思った…。

 店には、他のお客さんがいなかった。
 せっかく周囲の目を気にせずに存分にゲームができる機会なのに、新しい種類のゲームは、ただ眺めるだけだった。
 小学生の頃によくやったシーソーを使って空中の風船を割るゲームがやりたかったが、そこにはなかった。あのゲームの音楽が好きだった…。
 そこにあるゲームは、すべてガラス板のテーブルの中にディスプレイが組み込まれている台で、複雑な動きをする宇宙船で蛾のように飛んで来る敵を撃ち落とす新しめのと、花札と、麻雀と、ポーカーと、そんな感じのものばかりだ。

 根性なしのわたしにできるのは、麻雀だけだった。
 わたしはテーブルの前に行き、ぴかぴかに磨き上げられたスチールパイプの丸椅子を引いて、薄いビロードのクッションに腰掛けた。
 わたしが暮らすマンションは、比較的新しく建てられたものだ。
 分譲された二つ分を改装工事でくっつけて、ぐるりと回遊する間取りにしたので、玄関が二つある。
 両親の寝室と応接間のある側に一つ、わたしの部屋と居間と台所のある側に一つ。
 どちらの玄関も同じ形で同じ色の、味気ないスチールのドアだ。
 それらが風呂場と洗面所とトイレを真ん中にして配置されているので、家の中をぐるぐる回れば犬の散歩ができる。

「ミリが一人でも遊べるじゃないか」
 こうした一癖あるアイディアは、すべて父のものだった。

 一見はごく平凡で穏やかな核家族なのに、父は奇抜な思考を持ち、母はキレるタイプ。
『個性的なお嬢さん』と言われて育ったわたしにも、中学に入る前から『個性的なお父さん』と『個性的なお母さん』であることがわかっていた。

 わたしは都会が好きだ。
 個性的と言われても、「そうですね」と答えればいい。
 そんな人たちは、どこにでもいる。

 近所には目も当てられないほど古びたマンションや、姿かたちのある人間が住んでいるとは思えない崩れ落ちそうな洋館や、警備員が立っている大きな門の屋敷や、軒先に犬を寝かせている工務店や、路地裏の突き当たりに一目を忍んで建てられた安アパートや、人が出入りしているのを見たことがない磨りガラスの扉の医院や、外国の航空会社のパイロットが住む宿舎や、また他の国の大使館とその国から来ている大使一家が住む不思議な造りの家などがあった。
 そのどこにも、『個性的な人』がいて、その中の誰かは『お父さん』だったり、『お母さん』だったり『お嬢さん』だ。都会は素晴らしい。

 駅まで行けば大きなデパートと映画館が何軒かあって、公園通りの空き地に建てられたバザールではヒッピーが露店を出して、針金細工のアクセサリーを売っていた。
 わたしも小学生の頃からヒッピーと遊んでいたけれど、ヒッピーがどういう人たちのことを指すのか、正確なところはわからなかった。
 ただ、今はもういない。
 あれほどバザールを賑やかしていた、長い髪の、お兄さんのようなお姐さんや、お姐さんのようなお兄さんは、綿菓子の糸のようにバザールの風景の中に消えてしまった。

 わたしや香奈が好きだったのは、渋谷のスペイン坂にできたカフェバーで小さな傘のついたバナナジュースを飲むことや、下北沢のジャズ喫茶で甘い匂いのする煙草を吸いながらヒソヒソ話をすることだった。
 そろそろまずいな、とは思っていた。
 寝酒をやる習慣のある母が、トイレに起きてくる時間だからだ。

 わたしの部屋は以前父が書斎にしていた小部屋で、電話回線がそのまま残っている。
 回線の使用許可が出たのは、中学三年になってすぐだった。
 家の電話回線とは別の契約をして、小遣いで輸入ものの折り畳み電話機を買ってきて、つないだ。
 わたしが小遣いの中から自分の電話代を支払っているのだから、どれほどの長電話だろうが咎められる理由はない。
 けれど、そういう理屈が、母には通じなかった。

 四時近くになっていた。

「香奈、やばい、起きてきた」
 長電話への警告はお互い日常的なことだったから、それだけで危機的状況が伝わる。

「さすがにやばいね。じゃあ、明日の朝、ダンキンでも行」

 寝ぼけた顔でふらりと部屋に入ってきた母が、手にしていたハサミをいきなり振りかざした。
 香奈の話し声が途切れた。わたしも刺されるんだと思った。
 だが、実際のところ、やられたのは電話機だけだった。
 手にしていた受話器は、突然に、ただの小洒落たプラスチックの箱になってしまった。
 勝ち誇った顔の母が無言のまま部屋から去ると、壁のジャックから宛てなく延びた電話線がずるりと残されていた…。

 玄関横の納戸に道具箱を取りに行った。
 ぶつりと切断された電話線の、ジャック側と電話機側の両方に手を加えなければならない。
 厚めのビニール部分2センチを、ペンチの刃を使って取り除き、赤と緑の細い回線を出す。導線の薄いビニール1センチを同じように取り除いて、銅線を剥き出し、ペンチでよじって繋ぐ。
 豆電球を使った理科の実験を応用するだけのことだ。
 理論的にはそれで元通りにつながるはずだった。
 薄いビニールを取り除くときに、うっかり力を入れすぎると、中の銅線ごと切ってしまう。そうなると、もう一度、厚いビニールを取り除く作業からやり直さなければならない。
 ようやく薄いビニールを外しても更に細い赤と緑の線が待ち構えているし、中の銅線は柔らかくて千切れやすい。 
 爆弾処理班の慎重さが必要だ…。
 銅線を切ってしまう失敗は、二度だけで済んだ。
 よじってつないだ回線が、受話器を通してぷーと懐かしい音を発しているのを確認して、修理した部分にビニールテープをぐるぐる巻きにする。
 道具箱はちゃんと納戸に戻した。

 すべてが終わって、香奈に電話をかけ直したのは五時前だ。

「さっきのアリの声、すごい怖かったよ」
 明日の計画に興奮している香奈は眠っていなかった。

「こっちもリアルに怖かったんだよ」
 わたしは、母の凶行と、自分の冷静な対処を得々と話す。

「こわーい。おばちゃま、こわいよ」
 香奈は、わたしの母が「キレる」タイプだと承知していた。

「じゃさ、始発で来なよ。ダンキン行こうよ」
 目黒に住んでいる香奈には、渋谷が通学の乗換駅だ。

「そうそう、さっき、そう言おうと思ってたんだよ」

「聞こえてたよ。ダンっ、くらいまで」
 わたしたちはそのまま眠らずに、それぞれの家を出た。


 朝のセンター街は、カラスが支配している。
 カラスもわたしも、自分の振る舞い方をちゃんと知っていた。
 香奈と親しくしているのは、香奈が、やっぱり「個性的なお嬢さん」と呼ばれて育ったタイプだったからだろう。みょうに馬が合う。

 香奈は、新任の体育の先生を狙っていた。
 学校では素知らぬふりをしているけれど、先生と電話で話したり、手紙の返事をもらったりしている。

「完璧な作戦がある」
 香奈が自信満々に電話をしてきたのは、夜中の一時だった。
 わたしも香奈も、ラジオの深夜放送を聴くために起きていた。
 しっとりした声で悲恋を歌い上げるシンガーソングライターなのに、ディスクジョッキーになると脳みそが煮立っているみたいに陽気な早口で、えげつない冗談を飛ばす。
 わたしたちが深夜放送を聴くのは、そのディスクジョッキーが担当する曜日だけだった。

「この時間に、先生んちの駅から電話する。そしたら、絶対に、迎えに来てくれる」
 あとは抱かせるだけ、という段階なのだ。
 わたしたちは、それを「落とす」と言っていた。

「そりゃ来るだろうけど」

「電車ないじゃん」

「だからって泊めてくれるかどうかだよね。ホテル行かないだろうし」
 わたしたちはお金を出し合ってコンドームを一箱買い、六個ずつ分けて、それぞれが、いつも一つ二つをポーチに入れて持ち歩いていた。

「部屋に上げてくれない可能性はあるけれど、夜中に一人で放り出したりしないでしょ」

「まあね」 狡い手口を使うのは、負けを認めているのと同じなんだけど。

「公園のベンチでもいいしさ」

 二十代後半の先生が、発育盛りの女子中学生の誘惑に抗えるものだろうか。
 真夜中に、誰にも知られず、二人きりで。
 香奈の計画に全面的に賛成した。わたしは、その先生が嫌いだったのだ。
 体育会系によくいる、精神的なマッチョマンは気持ち悪い。実際は、SMでいうMだったりするのかもしれないけれど、だとしたら余計に気持ちが悪い。
 でも、先生が香奈の誘惑に打ち勝って教師の理性を保てたら、ちょっと見直すことになるだろう。

 三時になって、ディスクジョッキーが交代したのでラジオを切り、それからも香奈と話し続けた。
 母にはいつも「何をそんなに話すことがあるの。学校で毎日会ってるんでしょう」と呆れられていたけれど、香奈との長電話はやめられないのだ。
 酒と煙草とセックスを知っている15歳は、世の中でも少数派だと思う。
 だけど、存在するのは事実で、わたしはそういう一人だった。

 名前は中川有という。
『ユウ』ではなくて『アリ』と読ませるのが、代理店で広告ディレクターをやっている父のこだわりだ。

 わたしが産まれた年に、戦争に行くことを拒否してボクシングを奪われたモハメド・アリ。
 闘う男の名前を引き継いだわたしは、期待通りやんちゃに育った。
 何の不自由もない家庭の一人っこだけど、箱入り娘じゃない。

 世の中に迎合することのない放任主義の親にのびのび育てられたお陰で、子供の頃から『個性的なお嬢さん』と言われた。それが皮肉とわかるくらい、早熟だった。

 だけど、処女だった。
 それを信じてくれるのは、たった一人、親友の香奈だけだったけど。

 会社員というよりは、どちらかというと業界人である父は、朝が遅い。
 父がゆっくり起きるから、母もゆっくり起きる。
 つまり、学校に行かなければならないわたしを起こしてくれる人がいない。
 ミリという小さな細い犬を飼っていたけれど、わたしより先に起きた試しがなかった。
 小学生の頃は、意味もなく早起きして、今日一日にどんなことが起きるだろうと、窓の外を眺めてうずうずしていた。

 中学に入ってからのわたしは遅刻の常習だ。
 渋谷駅から国道沿いに坂道を上がったところのマンション、二階のフロアの半分がわたしたちの住居で、マンションを出ると頭上に高速道路があり、目の前にはガソリンスタンドがあった。
 学校へは渋谷から電車に乗るので、毎日、その坂道を往復しなければならなかった。

 坂の途中には、ビジネスホテルや喫茶店、父が勤める広告代理店の支社、銀行。
 駅の向こう側に出ると、センター街。
 一晩中開けているドーナツ屋があって、わたしは遅い朝ご飯をそこで食べてから学校へ行くことが多い。

 電車で40分の道のりだから、学校に着くとちょうど、みんながお弁当を広げている時間になる。
 二年までは自分でお弁当を作っていたけれど、三年になってからは、学校を抜け出して近所のソバ屋に行ったり、本当は胃弱で小食なのにおばあちゃんがごっついお弁当箱にみっしりご飯とおかずを詰めてくれる内沼くんのお弁当を分けてもらったりしていた。

 私立の共学で、女の子の数が多いせいか、男の子たちはみんなとても優しくて紳士的だ。
 休み時間になると男の子たちと一緒にHな話をしたり、帰り道で駅の立ち食いそば屋に寄り道したりする。

 彼らを、男の子として尊敬していても、異性として意識することはあまりなかった。
 わたしはそれを、自分が女の子らしくないからだと思っていた。

 クラスの女の子たちは、わたしと違って、みんな誰かのことが好きだった。