遷い易きは -6ページ目

遷い易きは

私の心也。もういやだ、離婚すると心に誓い、しばらく経てば忘れてしまい。吐いた毒のおかげか心安らいでも見たり。浮き沈みをそのまま吐き出します。一皮むけた、のか…?

 カミさんが友達やらとしているメールの中ではくそ旦那と呼ばれているに違いない。

 子供の誕生祝いを今週末にしようとしていた。
 いろいろ話をしていたが、今週末に仕事の依頼があった。
 断れば、断れなくもなかったが、ローンのこともあり、今後の仕事の頻度のこともあり、今が一番忙しい時期であり今のうちに稼いでおかなければということもあり、できれば受けたかったので、子供の気持ちもあるし、家族の気持ちもあるし、約束したことでもあるが、子供の誕生日は火曜日だし、その前後どちらかの週末でということで、来週に変更してはダメかと聞こうと思い、何度も電話したがつながらない。
 そこでとりあえずメールをしておいたところ、結構すぐに返事が返ってきて、はいどうぞ、と。
 なんだ偉くあっさりだなと思ったが、来週ということで分かってくれたのだなと思い、仕事の依頼を受けた。

 いろいろ考えて、聞いているのだ。

 今朝、食事の時にカミさんが、子供に話したのというので、あぁそうだったと思い、話をし、ごめんなと言って来週行こうなと言ったところ、そんな約束しない方がいいんじゃないかとの言葉。

 今週だって結局約束してダメだったんだから、来週だってわからない、それなら約束なんてしない方がいい、のだそうだ。

 夢も希望もありゃしない。

 そんなことなら世の中のすべてが信じられなくなる。

 いいもんね、お母さんと一緒に行こう、だそうだ。

 じゃぁ、来週は、空いていてもお父さんは一緒に行きません。

 私が、いろいろ思い悩んだ挙句にごめんと言ってどうだろうかと聞いて、いいよというのでではそうさせてもらいますという話になったのだが、まったく好意的な解釈でそうなったのではなかったようだ。
 どうでもいいから?
 私と一緒にいたくないから?
 私の言うことに文句を言うとあとで私が文句を言うとでも思っているのだろうか?

 そしてそれはおかしいんじゃないか?
 と反論するも、全く受け入れられず。
 私が譲らなければ平行線なのは、今までもそうなのだから、今回もそうだ。

 いいもんな、来週行こうな、と、子供に言うと、子供はそりゃうんという。

 どうする気か知らないが、今週、カミさんは子供たちと行くのだそうだ。
 自分の意地ばかりが勝って、子供たちの気持ちすら考えていない。
 況や私の気持ちをや。

 明らかに、行っていることが好意的ではなく、はめられたような気持だ。

 今までのこと?
 子供の運動会、確かに下の子の運動会を忘れていて仕事を入れてしまったことがあった。
 それを忘れたわけではない。
 だから今回は忘れないようにして、だが状況もいろいろあるので、今週を来週にしてもよいだろうかと聞いたのだが。
 
 怒るなら、最初に怒ればよい物を、いいよと言っておきながら、、、

 ともかく、こうなるととにかく手がつけられない。
 何を言ってもどうしても岩に素手で立ち向かうようなものだ。
 まるきり会話が成立せず、もうこの話はしない話はやめ、やめの一点張り。
 いやな気持になったまま。

 和解しようという気がこれっぽっちもない。

 相手の気持ちを少しでも考えたらどうだというとその言葉、そっくりそのまま返すよという。
 考えているのが全く伝わっていないということなのだから。
 そして自分は考えているのかどうかは、わからない。少なくとも、あの言葉を聞く限り、考えてもらっているようには思えないが。

 あー、あ。

 ばかばかしい、夫婦。

 このブログにしろ、見ているのかいないのか。
 いるにしても、まぁ、いいや。

 私の毒だ。
 はいて私は少し楽になる。

 この記事読んでくれと頼んだ覚えはないし。

 離婚はしないよと子供に言ったけどね、できるならホントこんな楽なことはないよ。
 早く楽になりたいなぁ、、、

 苦しいのは子供のせいじゃないんだけどなぁ、、、
 久々の、育児哲学テーマ。

 子供との絆を昨今よく大事にしようと叫ばれるけれども、さて絆とは、どのようにして結ばれていくものだろうか?
 怒りすぎて自分がへこんだりして、こんなことでは絆どころか、嫌われてしまったり、いやな思い出ばかりになったり、結局まっすぐな子供にならないのではないかと考えてしまったりしていた。
 お父さんお母さんは君たちのことが大好きで、大切でしょうがないんだよということ、つまり愛を持っているんだよということが伝わっていれば、どんなに怒っても大丈夫なはず、という考え方だったときは、愛を持っているということが、きちんと伝わっているだろうか?ということが常に不安だった。

 時々、変な美辞を並べなければならないということになる。

 子供に、妙にへつらったような、美辞はおかしいんじゃないかといつも思っていた。

 最近では絆というのは、思い出のよいか悪いかではなく、単にそのおおさ、印象深さなのではないかと感じるようになった。

 つらかろうが悲しかろうが、ともにすごした時間の長さ、印象の深さが、その人間を形成していくわけだから、正しいこともあれば間違ったこともあるし、怒られてもうお父さんなんか自分のことが好きじゃないんだ、と思うこともあれば、そんなこと、思っていたことすら忘れてしまうときもあるだろう。
 とにもかくにもそんなことの一つ一つが、全て絆の礎石のひとつになっているというわけだ。

 昨日、仕事が速く終わったので帰ってきて一緒にご飯を食べようと思ったら私の手際の悪さから結局一緒に食べられなくて、ゴメンね、ってな結果になったり、そのあと私の見たいテレビと子供の見たいテレビでじゃんけんをしたけど、ずるいお父さんは子供が最初に出すパーを知っていてチョきをだしたり(笑、仕方ないからお父さんの見たいところ少しだけ見て後は子供の見たいのを一緒に見たり、そんでもって結局8時に一緒に寝てしまったり(笑。
 どうということはない、日常だし、その中で怒られたりもしているけれど、それはそれでよし、ということなのだろうと思う。

 お父さんとお母さんが大喧嘩して離婚しちゃうのがね、いつもいやだなぁって思うの、などといわれるとドキッとするが、まぁ大喧嘩はしないよりはむしろしたほうがよいし、大喧嘩して離婚だ離婚だーと大騒ぎしても、たぶんほんとにはしないから大丈夫だよと言ってみたり。

 そんなことを、本人に向かって口にできるこの環境は、間違っていないのではないかと思う。
携帯から投稿するのは初めてです。

前の記事ではめちゃくちゃ書いてますが、実際しばらく経てば忘れてしまうものです。

来週はカミサンの誕生日です。
珍しく有給休暇などとってみました。
土日は仕事ばかりだし、休んでも、子供もいてはゆっくりできないしね。

大したことはないけどプレゼントも用意してみた。それこそ珍しいわな


でも、実際落ち着いてきたのはホントその土日の仕事のおかげもある気がする。やっぱりあちらが合ってるんだろうなぁ…

ま、ともあれこんな日もあればあんな日もある。

これからまた毒も吐くかも知れないけど、それはそれ、そのうち忘れてしまうさ。

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